新潟水俣病の公式確認からまもなく60年。魚を食べた母親を通して水俣病となった胎児性水俣病患者として新潟県内でただ1人認定されている女性が胸の内を明かしました。

【新潟水俣病患者会事務局 萩野直路さん】「大変だったけど色んな皆さんに支えられた60年だと思いますと」

記者の質問に筆談で答える古山知恵子さん 60歳です。

母親のおなかの中にいた時、母親が食べていた阿賀野川の魚が原因で有機水銀に冒されました。

県内唯一の胎児性水俣病患者です。

古山さんは生まれつき言語障害があり、手足が自由に動きません。
新潟水俣病が公表された60年前、新潟市 北区で農業と漁業を営む一家の長女として生まれた古山さん。

古山さんは4歳の時水俣病に認定されました。

古山さんは、20年前にも私たちの取材に応じてくれていました。

当時は障害者の作業所で働いていて取材に対し、こう話してくれました。
「病気がなかったら料理の免許を取ったりピアノをやりかたかった」

一方で、古山さんは苦悩もあったと振り返りました。
「新潟ではたった一人の胎児性水俣病なので注目されてしまう。逃れられなくて大変辛かった」

取材を受けることを控えた時期もありましたが、今回取材を受けたのは特別な想いがあったからです。
「60周年で私も出ないとだめだと思ったこと。私の将来のことを訴えたい」

古山さんの夢は1人暮らしをすることです。現在は障害者施設に入所していますが、1人暮らしをするためにリハビリに励んでいます。

新潟水俣病の公式確認から今年で60年。人生と重なる60年の思いをぶつけたいのは新潟水俣病を引き起こした旧昭和電工です。

「この体にしてくれてどうしてくれるんですか。私をもう1回生まれ変わらせてください。せめて私のこれからの生活をできるようにしてください」

今月31日、新潟市 中央区では公式確認から60年の節目の式典が行われます。

式典には旧昭和電工の社長も出席するため、古山さんは、直接面会を申し込みましたが、予定が立て込んでいるとして断られたそうです。

「当たり前の人生を生きたかった」

式典で古山さんは、患者代表してメッセージを発信します。