高知学芸高校の生徒らが犠牲になった「上海列車事故」から37年です。学校で慰霊式が行われ、遺族らが癒えることのない悲しみを胸に慰霊碑に花をささげました。
1988年3月24日、中国で修学旅行中だった高知学芸高校の生徒や教諭、およそ190人が乗った列車が対向列車と衝突し、生徒27人と教諭1人が犠牲になりました。

学校では毎年、慰霊式を行っていて、24日は犠牲になった生徒の遺族や、同級生らが出席。
橋本和紀校長は「学校が存続するかぎり慰霊式を続け、教訓をいかしていきます」とあいさつしました。

この後、出席者たちは犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑に花を捧げました。事故から37年。今もなお、遺族の心の傷が癒えることはありません。
(事故で娘を失った 宮地俊子さん)
「歳月がいくら経っても子どもを失った悲しみは、どうしても拭い去ることはできない。風化させないようにどうやって生きていったらいいか。でも私はいつか娘に会えると思いますので、前向きに頑張って生きていきたい」
この事故をめぐっては3人の遺族が「学校側の対応に納得できていない」として、今も慰霊碑に生徒の名前を刻んでいません。