通学路に奇祭で知られるあの神社

青池保子さんは、1948年、7人きょうだいの末っ子として生まれました。生家があるのは、天下の奇祭と言われる数方庭祭で有名な下関市長府の忌宮神社の近くです。

青池さん
「通学路なんですよ。毎日通ってました。7月に入ると数方庭祭のお囃子のお稽古が始まって、うちの家に必ず聞こえてくるんですよ。お囃子のお稽古の音が。懐かしいので、いまだに来ますよ。お祭りの日に1日は見に来ます。ちょうどお盆に帰った時に」

風情のある城下町で育った青池さん。漫画を描き始めたきっかけはなんだったのでしょうか。

青池さん
「自然に描いてた、気がついたら描いてたみたいな感じ。父が日本画をやっていましたし、そばでこちょこちょこ筆を触ったりなんかして邪魔をしていたんですよ。それがとても心地よかったのかな、自分には」

中学3年生で漫画家デビュー

中学1年の頃、姉と共に、下関の漫画家を訪ねます。その漫画家に作品を送ったことがきっかけで、1963年、中学3年の時にデビュー!そのデビュー作が「さよならナネット」です。主人公の少年と、外国に帰ってしまう少女の淡い初恋の物語でした。

関谷アナ
「あの当時、少女漫画で男の子目線の恋愛ものは?」
青池さん
「なかったですね」
関谷アナ
「その発想は?」
青池さん
「それはやっぱり少年誌ばっかり見てたからじゃないですか、あはは。デビュー作描いた後にもうちょっと少女漫画を勉強しなさいとか言われた時に、あぁずいぶん違うんだなって初めて思ったって感じですかね」