玉野市の宇野港と高松港を結び、瀬戸大橋の開通とともにその役目を終えた「宇高連絡船」。きのう(4日)、34年ぶりに愛好家らの手によってその姿が再現されました。

きっかけとなったのは、かつて連絡船と接続していた急行「鷲羽」のリバイバル運行です。


(宇高連絡船愛好會 三村卓也会長)
「船体の色も『白に緑』で、煙突も『オレンジっぽい感じ』ですから、色々と共通点があって」


久しぶりに宇野の港に訪れた賑わい…1往復限定で復活した宇高連絡船です。


船体の色など当時と同じような特徴を持つ、四国汽船のフェリー「せと」を、“宇高連絡船愛好會”がチャーター。中心となったのが、会長の三村卓也さんです。


(宇高連絡船愛好會 三村卓也 会長)
「こんなにバタバタするとは思っていなかった。皆さんの思い出に貢献できれば。私たちも、宇高連絡船のことを正しく知っていただけるようにできれば」


宇高連絡船は、瀬戸大橋が開通するまで「宇野駅と高松駅の間の、鉄道が走らない海の部分をつなぐ役割」を担っていました。


当時、大阪から岡山を経由して宇野まで走り、連絡船と接続していたのが急行「鷲羽」です。

その「鷲羽」が、岡山デスティネーションキャンペーンの一環でリバイバル運行されたことから、34年ぶりに連絡船の再現となりました。

(乗船客)
「感動です。ドキドキして前の日、全然眠れなかった」
「復活すると聞いて嬉しくて嬉しくて。張り切って並んでいたんですけど、7番の券がもらえて嬉しかった」


34年ぶりに復活した宇高連絡船。当時を懐かしむ人たちを乗せて、高松港へ向かいます。


(乗船客)
「34年…そんなになるんですかね。懐かしいです。感傷に浸っています」


「孫と乗るのは初めてなので、楽しいです」
「楽しい!」


「神戸から急行に乗って、だーっと走って、宇高連絡船に乗り継いでいた、というのを思い出に持っていましたので、そのころのことを思い出して」


多くの人の思い出を乗せて、瀬戸内海を進みます。


(宇高連絡船愛好會 三村卓也会長)
「思い出のある方には、それをよみがえらせていただきたいし、『連絡船』というジャンルそのものがなくなってしまっているので、『連絡船』がどういうものかを知って頂ければありがたい」


34年の時を経て、再現された宇高連絡船。役目を終えた今も、多くの人から愛されて続けています。