戦後に生まれた沖縄民謡「艦砲ぬ喰ぇー残さー(かんぽうぬくぇーぬくさー)」。沖縄では、中高年の年代層でこの唄を知らない者はおそらくいない、戦後沖縄民謡を代表する曲と言える。シリーズ4作目は、この唄をめぐる家族の物語をお伝えする。
▽▽▽「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の歌詞・訳詞はギャラリーページから▽▽▽

沖縄戦の生き残りは皆、「艦砲射撃の喰い残し」

1枚の家族写真。三線を構えてポーズをとる男性は、比嘉恒敏(ひが・こうびん)さん。

彼は、民謡グループを結成した娘たちのために、ある曲を書いた。

▽「でいご娘」島袋艶子さん
「あれはもう父の自分史みたいな感じで」「今まで封印したのを、もう解いたって感じで」

♪家ん元祖ん 親兄弟ん 艦砲射撃ぬ的になてぃ

「家も肉親も艦砲射撃の的になってしまった」
沖縄の戦後を軽快なテンポにのせて歌う「艦砲ぬ喰ぇ残さー」。

♪うんじゅん 我んにん いゃーん 我んにん 艦砲ぬ喰ぇー残さー
(でいご娘「カンポ―ぬ喰ぇー残さー」)


米軍の猛烈な攻撃にさらされた沖縄で生き残った人は、「みんな艦砲の喰い残し」。この曲は、恒敏さんと家族が歩んだ戦後史でもある。