舞台は、山口県北部に位置する長門市。日本の最も美しい場所31選の1つ・元乃隅神社や、県内最古の歴史を持つ長門湯本温泉など、歴史情緒ある観光名所が多く存在します。

そんな長門市で始まった「音信川うたあかり」。温泉街を流れる音信川の周りが、幻想的な灯りに包まれます。そして、このテーマになっているのが…

山口県長門市出身・金子みすゞの詩です。
金子みすゞと言えば、誰もが知る詩人。「私と小鳥と鈴と」「こだまでしょうか」 など、数多くの作品が、人々の心に響いています。ただ40年前まで、無名の詩人だったということを、ご存じですか?今回のはじっこニュースでは、詩人・金子みすゞがどのようにして世に広まったのかに迫ります。

向かったのは、長門市にある 金子みすゞ記念館
スタッフ
「こんにちは。金子みすゞが、なぜこんなに世の中に広まったのかを知りたいんですけど?」
金子みすゞ記念館 企画員 草場睦弘さん
「じゃあ、まず、まぁここに生涯が展示してあるので、そちらに行ってみましょうかね」
真相を知るには、まず生涯から。草場さんにご案内いただきました。

草場さん
「明治36年、1903年に生まれたんですよね。本名は金子テル。ペンネームとして『みすゞ』という名前をつけたんですね」
スタッフ
「どんな人だったんですか?金子みすゞさんって?」
草場さん
「小学校のときの担任の先生が思い出の文というのを残されていますね。頭がいいからって暗くもないし、いつもにこにこみんなと。すごく人気のある子じゃったっていう。そういう話は残っていますね」
実家が書店だったため、幼い頃から本に親しみがあったそうです。

そして、1923年、20歳を過ぎてから童謡を書き始め、当時の雑誌「童話」、「金の星」など4誌に作品を投稿。するとその全てに作品が掲載され、当時、童謡詩人の間で「巨星」として注目を集めました。しかし、1930年…
草場さん
「時代の流れもあって、26歳で自ら命を絶って亡くなった。で、存在そのものが消えてしまった」
当時はまだ、雑誌が大衆的なものではなかった時代。無名の詩人が世の中に広がるのは、簡単なことではありませんでした。














