大相撲春場所で、110年ぶりの新入幕優勝を果たした尊富士。小学校の卒業文集には「将来日本を明るくしたい」と綴っています。角界を夢見て歩みを続けた24歳の道のりとは。
尊富士関
「津軽弁で言うと『さっぱりしたじゃ』スッキリしたっていう意味です。前の日に出るか出ないかの状況の時に、応援してる映像を見た。休むことは僕の中では最終的には選択できなかったですね」
優勝して一夜明けた会見で明かした応援への感謝。まわりの期待に応えたい。いつだってそれが尊富士の原動力でした。
尊富士関(2012年取材・当時13歳)
「メンバーたちは決勝まであきらめずにがんばっていて僕の応援にもなった」
金木小学校の6年生で成し遂げた『全国大会優勝』を報告する際も、口にしたのは仲間を思う言葉でした。
相撲を始めたのは6歳のとき。祖父の影響でした。4人きょうだいで兄と弟は相撲を続けませんでしたが、尊富士は土俵に心を奪われていきます。
中学まで指導した相撲クラブの恩師は、懐かしそうに振り返ります。
尊富士関の恩師・越後谷清彦さん
「負けた相手には次絶対勝つんだという気持ちで稽古をする。絶対リベンジをする。そういう気持ちで普段稽古をしていた」
強くなりたい。
金木小学校6年生のときの卒業文集にも、あくなき探求心が綴られていました。
卒業文集に綴られた尊富士関の一文
「相撲部なので、もっときたえて強くなっていき将来日本を明るくして、より楽しくできるように中学校できびしく指導され夢に向かって進んでいけるようにがんばりたいです」
高校・大学で、県外の名門に進むと、偉大な郷土の横綱が親方を務める『伊勢ヶ濱部屋』に入門。
初土俵からわずか2年、史上最速の所要10場所で幕内優勝を成し遂げても24歳が口にしたのは変わらない思いです。
新入幕で初優勝・尊富士関
「小さい頃から自分のやってきた相撲に対して、こうやって成績を残して恩返しをできたということは、自分でも幸せなことです」
『日本を明るく、より楽しくしたい』
12歳の少年が掲げた目標は、たゆまぬ努力の末に、12年後、記録的な初優勝という形で青森県、そして日本中の人たちを笑顔にしました。














