史上初の「白河の関越え」で今年注目された白河神社には多くの高校球児とのエピソードがあります。


【中継】
白河の関の跡地がある白河神社の拝殿に上ってきました。周囲には樹齢700年といわれる杉の木があり、とっても荘厳な雰囲気です。

そして、ここ「白河の関」は「和歌の聖地」でもあるんです。こちらの「歌碑」にも注目してください。

最も有名なのが、能因法師(のういんほうし)が詠んだ「都をば霞(かすみ)とともに立ちしかど秋風ぞふく白河の関」「京都をたつ時は春風が吹くような時でしたが、白河に来た時には秋風が吹いていた」という意味の歌です。このように、白河の関は、多くの歌人にも愛されたということなんです。

今は、日が暮れて参拝客はいませんが、白河の関越えのご利益にあずかろうと26日も日中は多くの人たちが訪れました。

こちらは「古関蹟碑(こかんせきひ)」といって、白河藩主・松平(まつだいら)定信(さだのぶ)が1800年に、この場所が白河の関跡に間違いないとして建立したものだそうです。

「白河の関」は奈良時代から平安時代ごろに機能していた国境の関で、人や物資を取り締まる機能を果たしていたと考えられています。その「白河の関」を守る「白河神社」には26日も多くの参拝客が訪れていました。

栃木県那須町からの参拝客「白河の関を越えたのは初めての快挙で盛り上がった」棚倉町からの参拝客「この関を越えることはなかなか大変だと思う。高校生は立派なものですよ」

賑わっているのは、神社だけではありません。すぐ近くにある白河ラーメンのお店も「白河の関越え」効果で連日の大盛況です。

手打中華 矢田部文男店主「東北だけではなく全国から来ているのは間違いなかった。オープンで大体1時間ぐらいで売り切れになった日がしばしばありました」

さらに、「白河関の森公園」のお土産店でもご利益にあずかりました。
安倍遼アナウンサー「こちらの売店では白河の関越えに関するトートバッグや缶バッチなどがよく売れているということです」

白河関の森公園斎藤仁園長「9月からはお客さんが今までの3倍来ていて売り上げも去年の5~10倍になっています」

12月3日白河市には、今年、夏の甲子園で、東北勢悲願の優勝を果たした仙台育英の野球部が訪れました。部員たちは、白河神社を参拝したあと地元の野球少年たちを対象に野球教室を行いました。

改めて、仙台育英の球児たちも訪れた白河神社です。そして、この「白河の関越え」を心待ちにしていたのが、宮司の西田重和さんです。今年ようやく念願の白河の関越えが実現しました。

Q,当時のお気持ちは?
A,感激でもう胸がいっぱいで大変嬉しく思っています。

Q,仙台育英が神社に訪れた時に選手たちとはどんな会話をしたんですか?
A,私たちはこれからも東北6県の高校球児を応援していますので練習を頑張ってもらい、甲子園で立派な成績をあげてくださいと伝えました。

Q,OBの方からは記念のパネルもいただいたということで見せてください!
A,応援に行ったOBの方などが送ってくれて、うちの高校を応援してくださいと。

Q,そして優勝した仙台育英と福島とは実はゆかりがあるんですよね。
A,野球部の皆さんが私たちの所を訪れて、そのあと会津に行って創始者である方のお墓をお参りしたと言っていました。

Q,西田さんは大の高校野球ファンだということで、毎年していらっしゃることがあるそうですね。
A,実は東北6県の甲子園出場校に白河の関の通行手形を送っています。もちろん私たちの白河神社の御札も送っています。

Q,通行手形はどんな思いで始められたんですか?
A,甲子園に行って皆さん自信を持って野球が出来るように頑張ってほしいと思い始めました。

Q,通行手形を送った高校からはどんな反応があったんですか?
A,惜しくも負けてしまいましたが、聖光学院のOBの方からも記念のボールが届いた

Q,そして、こちらの色紙は?
A,かつて「盛岡大付属」の生徒たちが甲子園のあとに来てくれて色紙を書いてくれた一関学院からはタオルが送られてきました。

このように、多くの球児たちの目標がこの白河の関越えであったということなんですね。今年は記念の御朱印も多めに作っているということで気になる方チェックしてみてください。