「聴覚障がいのある子どもに希望を与えられるかなと思って」と力強く語る佐藤杏奈選手。

聴覚障がい者によるスポーツ「デフボウリング」の日本代表として、2025年開催されるデフリンピックへの出場が内定している彼女の眼差しは、静寂の中でも強い決意に満ちていました。

音のない世界で見つけた才能
デフボウリングは聴覚の補助装置を外し、耳が聞こえない状態で行うのがルール。

ボウリングで重要な音の認知ができない中でプレーする特殊な競技です。
佐藤選手がボウリングを始めたのは小学生の頃。
父親の昭仁さんが趣味でボウリングをしていて、小学生だった佐藤選手にマイボールをプレゼントしたことがきっかけでした。
その後、デフボウリングの世界大会があることを知り、親子二人三脚で手探りの挑戦が始まりました。
「他の指導者とか、なんかレッスンプロとそういうのは一切ない」と父・秋仁さんは当時を振り返ります。
昭仁さん
「僕の友達、僕が分かんないところは僕の友達とか知識ある人を聞いて、じゃあ、もうパパの言うことを聞いてればもうね、いいとこまで行ってる」

しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。