初冬の駿河路で、ふるさとの誇りと思いの詰まったタスキをつなぐ「しずおか市町対抗駅伝」。2000年に「しずおか市町村対抗駅伝」として産声を上げた大会も、今回で23回目を迎えた。これまでに出場したランナー数はのべ1万1000人を超えた。その後、世界へと羽ばたいたアスリートも多く誕生した。

その象徴ともいえるのが、リオデジャネイロ五輪男子4×100mリレー銀メダリストの飯塚翔太選手(31)。得意の200mでは、ロンドン、リオ、さらに、東京と、オリンピック3大会連続出場を果たした日本短距離界を代表するスプリンターは、2003年の第4回大会に浜岡町(現御前崎市)の代表として、駅伝に出場していた。

初めての市町対抗駅伝は小学6年生の時=2003年取材

飯塚選手が陸上と出会ったのは、小学3年生の時。地元の陸上クラブで短距離ランナーとして頭角を現す一方で、「長距離は嫌いじゃなかった」と自宅周辺でコースを決め、長い距離も走り込んでいたという。

時は経ち、小学6年生の冬、駅伝の代表に選ばれた。翌年に御前崎町との合併が決まっていた浜岡町として、有終の美を飾るべく編成されたチームの一員となった。

「練習会はよく覚えています。町長さんが応援に来てくれたりとか、テレビの取材も受けた」

SBSに残るインタビュー映像には、「最後までペースが落ちないように走りたい」と笑顔を見せていた。しかし、駅伝本番、初めてのロードレース、初めてのコースに戸惑った。

「区間賞を狙っていた。でも、緊張していた。中継所へ向かう送迎バスの中でも『あの人、速そうなぁ』なんて思ってしまって。いざ、走る番になると、浜岡町が思った以上にいい順位でやって来て、中継所にもテレビカメラがいて『いま、オレ写ってる』と思いながら、タスキをもらったことを覚えている。とにかく、テンパってしまった」

インタビューを受け笑顔を見せる小学6年生の飯塚選手=2003年取材

飯塚選手が走ったのは、小学生ランナーが競う2区、駿府城公園のお堀を回る1.86㎞のコースだ。突っ込んで入ると、考えていたペース配分も吹っ飛んでしまったという。

「途中、2人ぐらい抜いたと思う。だんだんきつくなってきたが、沿道からの『がんばれ』の声が力になった」

結局、タイムは6分20秒で、区間7位タイ。狙いにいった区間賞を手にすることはできなかった。

「悔しかった。区間で1位獲れなかったので。でも、沿道のお客さんの前で走ったことはいい経験。人に見られることで、人は成長する。速くなる、強くなる」

飯塚選手がしずおか市町対抗駅伝に出場したのは、この1度きり。その後、幾度も大舞台に立ち、活躍してきた飯塚選手だが、「代表になって走ること」の重み、誇りを、初めて感じたレースとして、約20年経ったいまでも、あの日のことを忘れることはないという。

「子供から大人まで世代を超えて、1つのチームで走るなんてことはないわけですよ。小中学生って。しずおか市町対抗駅伝が唯一の存在」

※飯塚選手がこれまでの取材に対し、しずおか市町対抗駅伝への思いを語ったものを再構成したものです。