2002日韓、2006ドイツと2度のFIFAワールドカップで活躍した元サッカー日本代表の三都主アレサンドロさん(以下、アレックス)に、当時の日本代表や所属クラブのエピソード、さらに現在の活動についてSBSラジオ『FooTALK』パーソナリティのヒデ(ペナルティ)と鬼頭里枝アナウンサーが聞きました。
日韓、ドイツワールドカップに出場
ヒデ:小さな頃はセレソン(選抜代表)に憧れ、ブラジルのカナリアカラーのユニフォームを目指していたアレックス少年が、大人になって日本の青いユニフォームを着てくれて、僕らはうれしかったですね。そして、実際に2002年、2006年のワールドカップに出場されました。2002年の日韓ワールドカップは国内開催の大会でもありましたが、どういう印象がありますか。
アレックス:すごく盛り上がりましたよね。あんな盛り上がりはもうないんじゃないかというくらい、日本中が青く染まって! あそこまで応援してくれてうれしかったですし、日本に帰化して、日本代表になって本当によかったと思いました。
ヒデ:2006年のドイツワールドカップはどうでしたでしょうか。
アレックス:ドイツのことは、今考えても悔しいです。選手はみんな、オーストラリア戦に賭けていました。いい状態で入っていって1対0で勝っていたのに、最後の15分がうまくかみ合わず、その時間帯をオーストラリアに渡してしまい、負けてしまいました。
ヒデ:途中からチグハグなイヤな空気になりましたよね。
アレックス:そうですね。攻められていて、パワープレイになかなか対応できませんでした。追加点もとれずに、後ろに下がってしまいました…。
日本で忘れられない思い出は
鬼頭:これまでさまざまな得点にかかわるシーンがあったと思いますが、日本での記憶に残る忘れられないシーンはありますか。
アレックス:清水エスパルス、浦和レッズ、名古屋グランパスと所属してきたクラブで優勝しているので、どれも優勝した時のことは忘れられません。優勝に貢献できたことはもちろんうれしいですし、優勝の瞬間はもっともっと、プレーがしたいと思いました。
特に名古屋グランパスは、それまで日本一になったことがないチームだったので、2010年の優勝に貢献できたのは本当にうれしかったです。そのほか、アジアカップでの優勝など、いろいろ忘れられないうれしい経験をさせていただきました。
鬼頭:そういった試合に常にアレックス選手がいたというのもすごいですね。
指導者としての活動、今後の夢は
ヒデ:現在は指導者として活動されているんですよね。
アレックス:はい、6歳から19歳まで約350人の選手を見ていて、その中からプロやビッグクラブに行った選手も7人くらい出ています。
2020年には「アルコ・スポーツ・ブラジル」というプロチームも作りました。3部リーグからスタートし、1年目で3部リーグ優勝、今年2部リーグに上がって2位になったので、1部リーグに昇格しました。
「アルコ・スポーツ・ブラジル」のアカデミー(下部組織)から、5人もトップチームに昇格しプロ契約ができ、彼らにチャンスを与えられたことがすごくうれしいです。
ヒデ:しっかり育成されているんですね。リスナーから、今のブラジルサッカーはアレックスさんが子どもの頃と比べて変わってきていますか?という質問がきています。
アレックス:今度のカタールワールドカップを見てもらえれば、ブラジルサッカーも昔のような個人技ばかりでなく、組織的にも強くなっているのがわかると思います。私たちも、子どもたちには小さな時からディシプリン(規律やルールを守ること)を教え、将来性のある選手になるよう育てています。
昔はディフェンスが苦手な選手も多かったんですが、FWから何でもできるような選手を育成をしています。パワーもスピードもあるし、個人技で持っていける選手もたくさんいるのですごく面白いですよ。日本人の選手も留学生として今年は5人が来てくれました。今もまだ2人残ってくれているので、12月までいろいろな大会に出場し戦っていきます。言葉も違う外国で、すごく頑張っていますよ。
鬼頭:そういう子たちの気持ちも、アレックスさんはわかってあげられるということですよね!
ヒデ:アレックスさんが今度は監督として日本に来てくれたらすごくうれしいのですが、アレックスさんの今後の夢は何ですか。
アレックス:私は日本でプロのサッカー選手になるという夢を叶えることができました。日本のおかげでもあり、自分を育ててくれた監督のおかげでもあるんです。だから今度は、日本人もブラジル人もプロになろうとしている子どもたちや選手をサポートしていきたい。
指導者として、日本でやってみたいという気持ちもありますが、今は自分のチームが1部リーグに昇格したばかりで、一番頑張らないといけない時期です。どんどん成長させて、将来ブラジルで活躍できるようなチームを目指します。そして、またいつか、日本に戻ってやれる日がくれば! とにかくこれからも、サッカーに貢献していきたいと思っています。