立命館大学経営学部卒「うたさん」なぜ豊島に?看護師に?
小澤詠子さん、通称「うたさん」は、豊島に来て8年になります。立命館大学経営学部を卒業した、異色の看護師です。

ーうたさんは、この島ではどんな存在なんですか?
(島の男性)
「マドンナ。マドンナ的な、ふふふふ」
ーそういう自覚は?
(小澤さん)
「ない、自覚はないです...そう思ったことはないです」
豊島へは大学在学中に、島の産業廃棄物問題を研究するため訪れたのが最初でした。【画像】は20代の頃のうたさんです。その時に、島で世話になった人たちが老いてゆく姿を見て、「彼らを支えたい」と移住しました。

暮らすうち、島に看護師がいなくなると聞き、一念発起して看護師資格を取りました。
(小澤詠子さん)
「元気が出てきましたか?」
(高齢女性)
「いや、これ思い出したよ。こないだあれ」
(小澤さん)
「あー、それちょっと前の話ですね。うん」
(高齢女性)
「あの看護師さんの顔を見るだけでも元気もらえるやろ。安心や」

「出産ゼロ」の年も なぜ島から若い世代がいなくなったのか
島の診療所の役割は、年々高まってきています。
(岩井医師)
「人口が減ってる。2000年当時は1200~1300人いたのが、今はもう900人を割りましたね」
(小澤さん)
「ご夫婦の片方が亡くなられたら、残された側は子供さんのもとに帰るか、ひっそりと地味に島で何とか暮らされるか」
(岩井医師)
「なんか風呂に入ってるときに、脳梗塞かなんかを起こしたんでしょうね。連絡がないと思っていたらお風呂で死んでたりとかね。やっぱりお年寄りの一人暮らしは怖いですよね」

島の世帯の多くは、老いた夫婦、もしくはお年寄りの一人暮らしです。去年は初めて島内での出産がありませんでした。

農業や漁業以外、主だった産業はなく、若い世代はみな隣の小豆島や岡山、大阪などに出て行きました。残されたお年寄りたちは、この島でその生涯を静かに過ごしているのです。
気になる島内の高齢者 巡回して訪問
港のそばにある、島で唯一の診療所。診察は午前中だけ、午後になると島内を巡るのがうたさんの日課です。
(小澤さん)
「今から、2人で暮らしているご高齢の夫婦のところに様子を見に、お薬を届けに行きます」

「患者さんの場合は、診療所に来る交通手段もままならないので、ちょっとたまにこういうふうにして様子を見がてらお薬が切れないように、ちょっとフォローするという」