ハンセン病に対する国の政策は?
「日本は欧米に比べると感染病の罹患率はまだ高いということで、欧米並みにという明治の考え方の中で、1907年に『癩予防ニ関スル件』が作られました。これは、一定の場所に集めるということ。
つまり、社会の中で、ハンセン病の方が街中にいっぱいいるという状況を、避けたいということ。そこから、1931年に『癩予防法』という『旧らい予防法』が制定されることになります」
「国立のハンセン病療養所としては、岡山県瀬戸内市の長島に初めて開設されました。ハンセン病患者のための病床を作って、どんどん療養所に隔離していこうということで、国を上げて患者を療養所に送る。
時には、密告のようなこともあり、患者が療養所へと送られる取り組みがなされるようになります。
患者が出た家は、もう真っ白に消毒されるということで、家族はその家に住めなくなったり、あるいは住み続けている場合でも、周りから差別を受け続けたりするようなことが起こりました。
そういう状態は、国民の恐怖心も煽りましたし、患者がいることがバレたら大変だという思いも強くなってきました。
そのような取り組みを『無らい県運動』といいます。ハンセン病(らい)患者のいない県を早く作ろうという運動で、そういったことが起こる。
長島では、それぞれの県や篤志家などからの寄付で『十坪住宅』とよばれる住宅を建て、そこに患者に入ってもらいました。集まった寄付で収容できる住宅を増やして、収容人数をどんどん増やしていったのです」
