偏見や差別に苦しむハンセン病療養所の入所者に寄り添い続けた詩人
国のハンセン病療養所のある瀬戸内市の長島に、たびたび通った永瀬さん。ハンセン病は、らい菌という細菌による慢性の感染症です。らい菌の病原性は極めて低く先進国での発病は稀ですが、日本では、「らい予防法」が廃止される1996年まで回復者も隔離され続けました。
病に対する差別や偏見が根強くある中で、療養所の入所者たちに詩の指導を行っていたのです。指導を受けた入所者が15年前、永瀬さんの人柄を語っていました。

(詩の指導を受けた入所者)
「田舎のおばさんというか、おかあさんというかな。おふくろさんていうような感じじゃったな」
「人間的に平等な考えを持って接してくださるような、どうしてもこの病気は、郷里とかふるさととか兄弟とかいうことに、迷惑かけるというところで、つい、リアルなところをカットすることが多いからな。そういうことをいわれたことがありました」
「ザラザラした作品を書いたほうがいいんじゃないかって。あんまり作品がまとまりすぎとってもいいことないっていうことは言われましたですね。自分たちが差別とか偏見とかにさらされとるだけに、やっぱり人間的な情のある人だなと今でも思っておりますね」
永瀬さんは、入所者との交流を詩にしています。
(朗読)
「貴方がたの島へ 私は何かを受けとりにゆくのです いつも人々からの愛を受けとって 精神(こころ)は着ぶくれている貴方がたから 私は何かをうばひにゆくのです さあ私に何かを下さい病める人々よ」
永瀬清子さんを長年研究する白根直子さんは、「うばひにゆく」という強い言葉には、入所者とともに、より良い詩を書こうとした永瀬さんの心意気が表れていると考えています。
(赤磐市教育委員会 白根直子さん)
「その人そのものが詩に出るんだと。いい人でないといい詩は書けないということも詩の書き方を書いたエッセイの中で書かれています。入所者も永瀬さんご自身もその人でなければ書けない、そういうものを書いていくことがいい詩のひとつの条件であったのではないかと思います」

朗読会には、永瀬さんの孫の女性も訪れていました。
(永瀬さんの孫 藤本宣江さん)
「(永瀬さんが)長島愛生園とか光明園に通うのを楽しみにしていたのを思い出しました。母も祖母も喜んでいると思います」
