「何かあったらあとのことは頼む」何かとは…

患者の強制隔離を定めた法律「らい予防法」廃止の運動に参加し、病気への差別・偏見をなくすために尽力した政石さん。法律は憲法違反だと国を訴えた裁判にも参加し、原告のひとりとして陳述するなど、人間回復のために闘いました。2009年、道夫さんは85歳でなくなりました。三好さんは、道夫さんの意思を継ぎ、「ある事実」と向き合おうとしています。

(三好さん)
「何かあったらあとのことは頼むぞ、と言われていました。「何か」の意味はわからなかったんですけど。「あとのこと」が何を指しているのかもわからなかったんですけど。今回、政石道夫の母親の政石コメの本当の姿がわかったことで、私自身もとてもショックだったし、悔しいし悲しいんですけど、これこそ、「あとのことは頼むぞ」という意味につながるかな、と思っています」

それは、同じくハンセン病だった道夫さんの母親の、辛い事実でした。

(スタジオ)
ー政石道夫さんを知る大島青松園の森和男さんは『70年前の「らい予防法闘争」でハンガーストライキにも参加し、社会と闘った人。政石さんのような人たちをきっかけに、療養所らしい環境が整っていった』と話してくださいました。そして、道夫さんの母親、政石コメさんもハンセン病でした。

三好さんに明かされたコメさんの事実については、次回の特集でお伝えします。