大隈重信や渋沢栄一に「救済」を訴え
これは、公的な療養所が造られる15年ほど前の出来事であり、日本におけるハンセン病患者救済の先駆的な活動でした。
紙芝居では、リデルが病院の運営費を集めるために奔走し、ノットがリデルを支えます。リデルは初代院長として元総理大臣の大隈重信や財界人の渋沢栄一に面会し、ハンセン病患者の救済の必要性について強く訴えました。
回春病院は、警察から「英国のスパイ」などと疑われ、1941(昭和16年)に閉鎖に追い込まれてしまいます。太平洋戦争開戦の10か月前のことでした。

リデルから受け継いだ大切な療養所を力づくで閉ざされ、患者を奪われた2代目院長のライトは、泣き崩れました。









