村山富市元総理が今日(17日)午前、大分市内の病院で亡くなりました。101歳でした。
水俣病の政治解決策にも奔走した元総理の訃報に、熊本県内の関係者からも、その死を悼む声が聞かれました。

これは25年前(2000年)の映像です。水俣市を訪れた村山富市元総理は、水俣病資料館を見学しました。
1972年に当時の社会党から衆議院に出馬して初当選を果たし、1994年に誕生した自民・社会・さきがけの連立政権で、第81代内閣総理大臣に就任しました。

水俣病に認定されない患者について救済策を示し、政治決着を図りました。
村山富市総理(当時)「40年間という間、解決が見い出せず、これまで来たことについては、この際、率直に遺憾の意を表しておきたい」
熊本から
熊本県内の関係者からも村山元総理を偲ぶ声が聞かれました。

水俣病被害者の会 中山裕二事務局長「被害者の話を聞く姿勢がまず大事だと思ったし、そのことを自分の中で判断をする、そういう政治家としての大きな決断をしていただいた」
熊本県の木村知事は「大きな足跡を残された」と振り返りました。

木村敬知事「弱き者に優しいその眼差し、政治姿勢は私自身も尊敬するところです。」
また、熊本市の大西市長は、村山総理時代に官邸で勤務していたということで「阪神・淡路大震災で人名を守るために必死に陣頭指揮を執られた姿は今なお強く印象に残っています」と哀悼のコメントを発表しました。