「あの時、娘を助けることができたのではないか」

登志子さんは、娘の最期を繰り返し思い出しては、自分を責め続けました。

そんな河添さん夫婦が唯一、気を紛らわせることができたのが、生業であるスイカを育てることでした。

登志子さん「由実を亡くした直後に、お父さんが『今年はこの先の手入れを諦めよう』と言ったけど、何かしておかないと。あの時、仕事がなかったら、そのままばったりと動けなくなったかもしれない」

由実さんと暮らしていたころと同じ生活を少しずつ取り戻す中で、楽しかった由実さんとの思い出や笑顔が蘇ってくるようになりました。

地震の翌年、2017年の追悼式で遺族代表として壇上に立った登志子さん。

癒えない悲しみを抱きながらも「前を向く」と誓いました。

登志子さん「私たちが前を向いて歩いて生き抜くことこそが、この地震で命を落とした娘や亡くなられた犠牲者への供養だと思います」

納骨は熊本地震の2年後だった

ようやく納骨を決心したころには、2年4か月の月日が流れていました。

敏明さん「早くしてやりたかったけど、なかなか気持ちの整理がつかず今になったが、幾分ほっとした気持ちはある」

登志子さん「由実のところに行くときに『お母さん楽しかったよ、いい人生を送れたよ』と言えるような生活をしていきたい」