◆生きて日本に帰るために差し出された
なんとしても、生きて日本に帰るために、彼女たちは差し出された。ハルエさんの開拓団の隣の地区には、熊本の開拓団があった。ここはほぼ全ての開拓民が毒を飲み、家々に火を放って自決した。
それを知ったハルエさんの開拓団でも、団員全員が自決をすべきだという意見が出るようになった。しかし、ハルエさんのお父さんが「そんな簡単に捨てていい命じゃない。日本に帰らなければ」と声を上げた。娘のハルエさんがそう証言している。
終戦から1年が経った昭和21年9月。ソ連兵の相手をした未婚の女性15人のうち、4人は性病などが原因で、帰国する船に乗れず、現地で亡くなっている。「なんとしても生きよう」と声を上げたハルエさんの父親も現地でチフスを患い、亡くなった。
そのような苦難があったのち、岐阜県に戻ったが、満州で起きた事情はすぐに広がり、ハルエさんらは「満州帰りの汚れた娘たち」と呼ばれた。故郷に居づらくなったハルエさんは居住地を移して暮らした。
そこで夫と知り合い、事情を伝えたのちに結婚。4人の子供、9人の孫、8人のひ孫に恵まれた。毎日新聞の取材に同席したハルエさんの長男は「母は大変な経験をして帰国した。でも開拓団が集団自決をしていれば、今の佐藤家はありませんでした」と語っている。
◆「戦争ではばかげたことが起きる」
ハルエさんは2013年ごろから、満州での出来事を公の場で語るようになった。
「なかったことにはできません。恥ずかしいことじゃない。戦争ではばかげたことが起きるのです」
ハルエさんは80歳を過ぎていた。「もう時間がない」との思いからだった。出身地の岐阜県白川町(旧黒川村)には、「性接待」の事実を、後世に伝えるための碑文が設けられている。私も、見学したことがある。「性接待」を強いられた女性の中でも、満州での出来事を語り続けた1人が、佐藤ハルエさんだった。
話は逸れるが、保守系の論者で知られる櫻井よしこさんが先日、自身のX(旧ツイッター)に、こんな投稿をした。
「『あなたは祖国のために戦えますか』。多くの若者がNOと答えるのが日本です。安全保障を教えてこなかったからです」
もちろん、安全保障は大切。だが影響力のある論客が「あなたは祖国のために戦えますか」と言って「国のために戦い、そして、殉じてしまうことも厭うな」と意味するような発言をしていいのか。どうやって、戦争をしないようにするのかを、考えたい。
「国策」という名前のもとに、満州へ国民を送り込んだ国家は、軍隊は、その国民を置き去りにした。国は国民を守ってくれない。そして、生きるために、きょう話した悲しい出来事が起きた。私はそれを伝えたかった。
◎飯田和郎(いいだ・かずお)

1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。







