満州で小1から6年間を過ごす

今月15日、山本さんの姿は福岡市中央区の福祉施設にありました。

山本一清さん
「こんな風な感じやったですね。船にいっぱい乗って」

訪れたのは戦時中の満州の暮らしをテーマにした資料展です。

山本さんも小学1年から6年間、満州で過ごしました。

山本一清さん
「雑魚寝ですよね。引揚者は。全部こんな風だった。囲いも何もない…」

山本さんの父親は、旧日本陸軍の軍医で、太平洋戦争が始まる1年前に、家族とともに満州に移り住みました。

資料:当時の満州・奉天

まもなく南方作戦が始まると、父親は沖縄へと派遣されることになり、山本さんは母親と2人で満州で病院を開業していた伯父の家に身を寄せました。

山本一清さん
「学校でいわゆる体操の時間は軍事教練ですよ。肘で歩くのを運動場でやらされたり、それから毒ガスの訓練させられたですね」