石橋弘崇アナウンサーが過去に取材した遊学館高校の2人を覚えていますか。中学時代に2人で甲子園に出場することを夢見て、東京から石川県にやってきた高橋祥太選手と岩谷波瑠選手です。

遊学館高校野球部 3年・高橋祥太 選手
「自分は春、メンバーに入れなかったので、この夏はメンバーに入って結果を残したい」
強豪校で試合に出ること、ベンチに入ることの厳しさを感じた3年間。髙橋選手を傍らで見てきたのが、中学時代からの同級生で遊学館不動のレギュラー、岩谷波瑠選手です。ポジションはセンターですが、メンバー入りへの最後のアピールの場となる6月20日の壮行試合では、この試合にかける同僚の思いに寄り添い同じ背番号6のユニフォームに袖を通しました。
遊学館高校野球部 3年・岩谷波瑠 選手
Q.同じ背番号にした理由
「絆、みたいな。自分も6番にして一緒に行こうって。甲子園に二人で出るっていって東京から来たので」
高橋選手
「ここまで野球をやってこれたのは両親のおかげなので。両親、仲間全員に恩返しができるように…」
試合中、電光掲示板には両親への感謝のメッセージが映し出されました。

電光掲示板のメッセージ
「お父さん、お母さんへ
ここまで野球を続けてこれたのは2人がいたからです。
ありがとう。最後の夏悔いなく頑張ります。高橋祥太」
東京から駆けつけた両親は、スタンドから成長した息子の姿を見守りますが…結果は空振り三振。高橋選手にとっては、高校野球最後の打席となりました。
高橋選手の母
「納得してできたのであれば、石川まで出した意味があったのかなと」

全国高校野球石川大会。2人の夢は、遊学野球部全員の夢になっていました。スタンドの子どもらからも「遊学館ガンバレ!」と熱いエール。
7月27日、石川県大会の決勝戦は岩谷選手が8番、高橋選手が16番の背番号を背負って臨みました。高橋選手は1塁ランナーコーチとして仲間を鼓舞します。夢の甲子園まで“あと一つ”でしたが…
石橋アナウンサーの実況
「2アウトランナーはありません。9回裏、倉知に対して中山、投げました打ちました!サードゴロ、サードがボールを一塁に送った…」
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「アウトー!試合終了!2時間44分の死力を尽くした戦い、頂点に輝いたのは星稜高校です!」
甲子園を懸けた最後の夏は、あと一歩のところで涙を呑む結果となりました。
試合を終え、石橋アナウンサーは2人にインタビューしました。
「祥太と一緒に甲子園に行くという目標は達成できなかったけど…一緒にここまでやってこられたんで。ありがとう」
高橋選手に対する感謝の言葉を口にした岩谷選手。互いに固い握手を交わし、球場を後にしました。