日本最大級の病院グループを築いて国政にも進出し、波乱万丈の人生を送った徳田虎雄さん。足跡を振り返ります。

(徳田虎雄さん)「生命だけは平等ですから。金持ちでも庶民でも都会でも農村・離島でも、だれもが最善の医療を受けられる社会ということを理想としている」

徳田虎雄さんは1938年に徳之島に生まれ、大阪大学医学部を卒業したあと、1975年に医療法人・徳洲会を設立しました。

徳田さんは、医師会は患者本位の医療を行っていないと批判しながら、年中無休・24時間診療を行うことや、患者からの贈り物は受け取らないなど斬新な理念を掲げて全国に次々に病院を開設。医療界の革命児と呼ばれました。

鹿児島県でも、鹿児島市の拠点病院から医師を交代で派遣するというやり方で、医療の恩恵が受けられない離島やへき地に病院や診療所を次々に開設しました。

(徳洲会理事長 徳田虎雄さん)「やっぱり加計呂麻の人の思いが、この病院をオープンさせてくれた」

一方、徳田さんの積極的な病院建設計画は、医師会の激しい反発も招きました。