愛媛県宇和島市出身のシンガーソングライター・大石昌良さん。
2022年には愛媛を全国にPRする「伊予観光大使」に任命されるなど、音楽活動以外にも活躍の幅を広げている。
ラブソングからアニメ主題歌まで幅広いジャンルの楽曲を手掛ける大石さんに、愛媛で過ごした幼少期について聞いた。

近藤雅之アナウンサー
「『伊予観光大使』の就任おめでとうございます。地元でこの仕事に就いた今のお気持ちはいかがですか?」
大石昌良さん
「いやあ、一言で言うと光栄ですね。愛媛大好きですし。故郷に錦を飾ることができたと思っています。電話で両親に大使就任を伝えた時は涙が出るほど喜んでいました(笑)」

愛媛県庁で行われた観光大使の委嘱式

近藤雅之アナウンサー
「今振り返ってみて、地元・愛媛で過ごした幼少期はどんな生活でしたか?」
大石昌良さん
「もうとにかく歌が大好きな少年だったみたいで。僕が幼稚園の頃、当時はまだカラオケボックスとか全くない時代だったので、お風呂に入った時に浴室の天然エコーで歌っていて。その歌に両親が点数をつけてくれたんですけど、やっぱり親なので甘く点をつけてくれるんですよね。もう毎回90点とか100点とか。
それで僕もすごく嬉しくなって、幼稚園の時に夢を書く色紙があったんですけど、みんな『ウルトラマンになりたい』とか『ケーキ屋さんになりたい』とか書いている中で、僕だけ『かしゅになりたい』って書いていたみたいで。幼稚園児ながら“歌手”というものに対して夢を抱いていたみたいです」

■「ライブハウスもスタジオもない…」 手作り感満載な高校バンド時代

大学進学までの18年間を宇和島市で過ごした大石さん。
高校時代には同級生とバンドを結成するも、小さな町での音楽活動には苦労が絶えなかったという。

大石昌良さん
「当時の宇和島市はライブハウスもなければ、練習するスタジオすらない町だったんです。そこで高校時代の僕は『そうだ、自分で作ればいいんだ』と。僕の家の敷地に畑になっていた土地がありまして、父が大工の免許を持っていたのでその土地に小屋を建てて、バンドメンバーたちがそこに楽器やアンプを持ち込んで練習したり。
すると今度は、ライブを披露する場所がないということになって。市内のカラオケボックスにパーティールームという大きな部屋があったんですけども、また父親が出動して。ビールケースをパーティールームの一角に積んで、その上にベニヤ板とじゅうたんを敷いて即席のステージを作って、機材を持ち込んでライブをしたりだとか。高校時代は手作り感満載な音楽活動をしていたんですよね」
近藤雅之アナウンサー
「お父様はなんでも作っちゃう人だったんですね(笑)」
大石昌良さん
「そうですね(笑)もう父親には感謝しかないです。でも逆に言うと、音楽をするってこんなに大変なことなんだというのを当時から身に染みて感じていたんですよね。宇和島というライブハウスもスタジオのない町だからこそ、何が起きても折れない心や夢に向かっての推進力、そういうものを勝ち得たと思います。あの経験が無ければ、多分僕はここまで大きくなれなかったと思うので、両親や高校時代の仲間には本当に感謝しています」