8月21日は広島で被爆し無念の死を遂げた岩手県内出身の元宝塚俳優・園井恵子の命日です。盛岡市内にある墓では没後80年の供養が行われました。

21日は「園井恵子を語り継ぐ会」のメンバーを中心に約30人が参列し、盛岡市愛宕町の恩流寺の墓前で手を合わせました。

園井恵子、本名・袴田トミは、1913年8月6日に旧松尾村に生まれ、幼少期を岩手町で過ごし、15歳で宝塚音楽歌劇学校に入ると、俳優として活躍します。退団後は映画の世界にも活躍の場を広げていた園井は1945年8月6日、参加していた移動演劇隊の公演先の広島で被爆。その半月後に原爆症で亡くなりました。32歳でした。

(30代の参列者)
「園井さんは30代で、志半ばで亡くなってしまった。もし自分が今この時に亡くなったら、同じようにすごく無念というか、まだまだやりたいことあっただろうにっていうふうに思っただろうな」

没後80年という節目を迎えた今年は、法要や、しのぶ会も催され、園井の後輩に当たる元宝塚俳優も訪れ遺徳をしのびました。

(元宝塚俳優 流けい子さん 宝塚時代は八千代環さん)
「園井恵子さんて何って言った時にそのストーリーの中で少しでも分かってくださる方が1人でも2人でも増えればまたそれが語り継ぐ会になるのではないか」

(園井恵子を語り継ぐ会 柴田和子会長)
「園井さんの人生が寸断されたっていうところをやはり忘れてはいけない。園井恵子さんはやっぱり平和の使者として神さまがこの世につかわせてくださった方なんだろうな」

参列者たちは平和への思いも胸に、岩手が生んだ名優の色あせない輝きを、後世に語り継ぐ決意を新たにしていました。