1月20日。元日の地震発生から3週間を前に、私はJNN取材団の一員として能登半島へ向かいました。早朝3時に金沢市を出発し、地割れや陥没した道路をいくつも避け、時には農道を迂回し、4時間半をかけて半島先端部の珠洲市に入りました。(取材:HBC長沢祐 記者)

被災した石川県珠洲市内(1月20日)

 人口約1万3000人の珠洲市は、ほぼ全域で断水していて、一時は人口の半数以上が避難所に身を寄せていました。3週間が経ったその時点でも、被害の全容が把握しきれていませんでした。目に飛び込んできたのは、見渡す限り至る所で住宅が倒壊している光景。そして、自衛隊や消防、医療従事者らが多くのテントを張り、支援活動を行っていた景色でした。

避難所に灯油を運ぶ自衛隊(1月20日)

「自分はとんでもないところに来てしまったのかもしれない」

 画面を通して毎日見ていたはずの被災地。しかし、実際に自分の目で見た光景は、ニュースで伝えられた映像と全く別の光景に感じてしまうほど悲惨なものでした。