シリーズでお伝えしている「戦後77年」です。太平洋戦争、そして、ことしのウクライナ侵攻と、2度の戦争に翻弄された日本人男性の新たな一歩です。

 4月の晴れた日。降籏英捷さんが訪れたのは、東京・浅草でした。

降籏英捷さん
「日本人の遺伝子のようなものなのか、こうして歩いて見ていると見慣れた風景という感じがする。居心地がいいし、本来いるべき場所だと感じるよ」

 1943年生まれの降籏さん。戦後の混乱で、日本に戻ることができず、サハリン=元の樺太で育ちました。20代でウクライナに移住しましたが、ことし2月、ロシアがウクライナに侵攻しました。

 2度の戦争に翻弄された降籏さん。日本に永住帰国した親戚を頼り、孫たちと旭川に避難しました。

 旭川より1か月早い桜の前で、パチリ。

ひ孫・ソフィアちゃん
「虫さん、行っちゃった」

降籏英捷さん「虫さんはおうちに帰ったんだね」

 この日、彼らが東京を訪れたのには、理由がありました。

孫の妻・インナさん
「日本に来ることができたし、祖父を連れて来られたので、私はウクライナに戻ります」

 降籏さんの孫の妻であるインナさんが、ソフィアちゃんを連れて夫のいるウクライナに戻ることを決めました。お腹に赤ちゃんがいることが、旭川に来てからわかったのです。

 インナさんたちが住む、ウクライナ西部の都市・ジトミルは、ロシア軍が制圧したとする東部からおよそ500キロ離れています。

孫の妻・インナさん
「町の中心部にあるレストランが再開したので、食べに来てくれるよう宣伝しています」

 店の前で笑顔を見せる従業員たち。戦争の中でも少しずつ日常を取り戻す姿が写し出されていました。

 この戦争が将来の世代にどう影響するのか、心配しています。

孫の妻・インナさん
「ロシアに住んでいるウクライナ人も、ウクライナに住んでいるロシア人もたくさんいます。でも、これからの世代はどうなるかわかりません。なぜなら、ウクライナでは、なぜ家族が殺されなければならなかったのかと思いながら育つ子どもたちがいるし、ロシアでは、敵意や憎しみが生まれた理由を知らずに育つ子どもたちがいるでしょう。戦争はどんなに早く終わっても、禍根を残すと思います」

 ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに軍事的圧力を強める中国。挑発を繰り返す北朝鮮。戦後77年の今年。日本を取り巻く東アジアの安全保障は、厳しさを増しています。

職員
「ひらがなから勉強します、あいうえおかきくけこそれでいいですか」

降籏英捷さん
「はい」

 先月スタートした日本語の特別授業です。

降籏英捷さん
「まずは日本語の初級者コースを終えて、少なくとも日常会話ができるようになりたいですね」

 ことし、人生2度目の戦争に巻き込まれた降籏さん。まもなく79歳、旭川で失われた日常を取り戻そうとしています。


6月20日(月)「今日ドキッ!」6時台放送