阪神・淡路大震災が契機となった「DMAT(災害派遣医療チーム)」
(夏目)
山本医師には被災地に今必要なものや今後の課題などについて伺っていきます。
改めて阪神・淡路大震災を振り返ると、この地震はボランティア元年と言われたり、様々な震災対応が変わるきっかけになったとも言われていますが、どれだけの被害があったのでしょうか。

(柳沢彩美アナウンサー)
阪神・淡路大震災は今から29年前の1995年の1月17日午前5時46分に発生しました。この地震の規模を示すマグニチュード7.3、震源地は淡路島北部でした。
亡くなった方が6434人、負傷者が4万3792人ということでした。
(夏目)
山本医師が能登半島で活動されたDMAT(災害派遣医療チーム)も阪神・淡路大震災がきっかけでつくられたものなんですね。
(山本)
はい、これは阪神・淡路大震災で救える命を救えなかったっていう反省から、DMAT災害医療という分野が生まれてきたんです。

(夏目)
具体的には、どのような状態で医療が被災地に届かなかったんでしょうか?
(山本)
例えば、この時は神戸大学は意外と大丈夫だったんですが、そこに患者さんはあまり来ない状況で、逆に被災地の病院に集中してしまうとか、あるいは倒壊した建物に挟まれてしまって「クラッシュ症候群」と言いますが、筋肉が溶けてしまい、そこから腎不全になって心肺停止に陥るという患者さんがたくさんいらっしゃいました。
そういう助けられる命を外に搬送する仕組みもありませんでしたし、当時は自衛隊との連携、警察や消防との連携ということもできないという状態でした。
(夏目)
この阪神・淡路大震災は大石さんも現地で取材されたんですね。