ボートに爆弾を積んで体当たりする無謀な特攻兵器、通称「マルレ」。その特攻兵の生き残りの男性が語る平和への思いです。
(元特攻兵 佐野博厚さん)
「われわれ少年は消耗品扱いされた」
(大石アンカーマン)
「人の命が消耗品…だからこんな作戦を取れたんですね」

岐阜県多治見市に住む佐野博厚(さの・ひろあつ)さん、95歳。

太平洋戦争末期、出撃は死ぬことを意味していた「特攻兵」の生き残りです。無謀だった、その作戦とは。

(元特攻兵 佐野博厚さん)
「畳一枚くらいの大きさのベニヤ製の船に、250キロの爆雷をつけて、舟艇もろとも敵艦に体当たりする」


「四式肉薄攻撃艇」通称“マルレ”。
米軍によって記録された数少ないマルレの映像が残っている。1人乗りで後ろの台に250キロの爆雷を積んで敵艦に突っ込む特攻兵器です。

その実は、ベニヤ板で作られた粗末なモーターボートで、戦争末期、旧陸軍によって立案・実行されました。
極秘のため、単なる連絡艇という形をとり、その頭文字をとってマルレと呼ばれたのです。

米軍は「SUICIDE BOAT」“自殺艇”と恐れていました。佐野さんは、それに乗るはずだったのです。
