「もしかしたら守れた命だったかもしれない」
(友廣)
「私の大伯父の静雄さんは、歩兵9連隊というところに所属していたんですけれど」
(大江さん)
「12月の戦死なら、レイテ島の脊梁山脈が連なっている。この山ににいた人たちが、奪回作戦でブラウエンに行って、12月に亡くなった」

太平洋戦争の序盤、日本はフィリピンを占領支配していましたが、その後アメリカ軍の猛攻を受け戦況は悪化。
ブラウエン飛行場など、日本軍が作った3つの航空拠点を奪われ、その奪回作戦が1944年12月に行われたのです。

しかしアメリカは物量で圧倒。多くの日本兵が山岳地帯に追い込まれますが、「生きて虜囚の辱めを受けず」という、いわゆる「戦陣訓」が掟だった当時の日本兵は、降伏することもせず戦い続け、約8万人がほぼ全滅したのです。
(大江さん)
「奪回作戦は何の意味もなかったと書いてあるでしょう」
(友廣)
「私の大伯父の静雄さんはここで命を落としたけれど、もしかしたら“守れた命”だったのかもしれない」











