会社に激震が走った“モスクヴィッチ事件”
「なぜ?ソビエトだったのか?」
社史を編さんしていても、いち経営者としても納得のいかない出来事だったゆえに、あえて「事件」としたのだという。
「俺の影響だよ、間違いなく」

それは、憶測などではなく、明らかに確信に近い言葉だった。現社長はまくし立てるように言った。
「当時の日本であれば、アメリカに占領され、アメリカ流に統治されていたわけだから、アメ車のフォードなどを輸入するなら理解できるけど、ソビエト車は…」
当時の社会情勢であれば「アカ」という誤解も招き、誹謗中傷が相次ぐなどして会社の存続が危ぶまれるかもしれない中での大きな賭けにでたということか。しかし、結果は売れた台数がわずか数台と惨敗。最終的には、大赤字となり、順調だった会社経営に激震を走らせた。それは単なる出来事ではなく、企業にとってはやはり事件だったのであろう。
現社長が、少し黄ばんだ時の流れを感じさせるアルバムを持ってきてくれた。それを開くと、そこには当時の先々代の社長がソビエトを訪れ、現地のロシア人と商談している写真が収められていた。
社長の顔は生き生きとしていて、これからの新時代の鉱脈を探しあてたような満足げな表情を浮かべていた。孫にあたる現社長には、とても優しかったという祖父。しかし、経営者としては全く理解できなかったソビエト車の購入の原点を知ることができたことが嬉しそうに見えた。

ただ、裏を返せば、春男さんとの出会いがなければ、会社は大きな痛手を受けることなく、経営も安定していたはず。2人の出会いは企業にとってプラスだったのか?マイナスだったのか?聞いた。