「懐かしいなあ」帰国後3年間勤めた会社へ

帰国してまもなく、働き口を探し始めたのだが、自宅近くにあった自動車整備工場で勤務することになった。自動車整備は、抑留時代に培った知識、経験、スキルを存分に活かすことができたし、何より持ち前のバイタリティーで会社の中でも、自分の地位を築いていこうと懸命だった。

その工場で、意気投合した人物がいた。社長で創立者の佐藤鑛一氏だった。年齢は10ほど上だが、よくウマがあったのか、かわいがってもらった。

私は春男さんと共に佐藤自動車工場を訪ねた。本人にしてみれば、退社以来の訪問なのだから、75年ぶりくらいになるのだろう。

入社したものの、職を変えるまでの3年間の記憶。当時と同じ場所に、工場はかなり大きくなり、従業員も増えた元職場に足を踏み入れた。

すると、春男さんは「懐かしいなあ」と感嘆の声を上げながら、眼はキラキラと輝いていた。私が見ている風景とは、また違った風景が春男さんには見えているに違いなかった。

社長の佐藤鑛一郎氏が「ようこそ」と歓迎してくれた。創業113年の老舗企業の3代目、当時の社長の孫にあたる人物だった。