夏の甲子園 準決勝を迎えたきょう、同点に追いつく犠牲フライを放った県岐商の横山温大(はると)選手。
抜群の野球センスは5歳の頃から。兄と姉の影響で野球を始めました。生まれた時から左手の指がありません。


(横山選手の母 尚美さん)
「大きくなったら小学校上がったら『みんなと同じ手になるの?』って言われて。いつか責められるんじゃないかという気持ちもあったけど。私たちが悲しむようなことは言わない子でした」

小学3年で地元のスポーツ少年団に入り、当初は義手をつけてプレーしていました。中学時代の恩師は当時をこう振り返ります。
(愛知江南ボーイズ 住藤重光 代表)
「江南ボーイズ時代も、もくもくと練習して。お父さんにも協力してもらって、家に帰ってからもかなり練習していた。指がないのでバットをしっかり握れない。バッティングでも高校になると球も速くなるし重たくなる。県岐商という強豪校に入って、ハンデを抱えてレギュラーになるのは正直難しいんじゃないかと思っていた。それに打ち勝ってスタメン取って、彼はすごく頑張ってるんだなと思った」
