この時の地形は、基本的に今も変わっていません。

松江市松江城・史料調査課 面坪紀久 さん
「松江市のハザードマップなんかを見て頂くと、分かりやすいかと思うんですけども。これを見比べてみても非常に明治26年の浸水範囲と被ってますので。」
「(記者:もう水に浸かる範囲がほとんど瓜二つですね。)そうですね。ほとんど一致していると言っても過言ではないかなと」

実際に高さの違いを確かめてみます。
まず、島根県庁前です。

松江市松江城・史料調査課 面坪紀久 さん
「こちら江戸時代は松江城の三の丸になってまして、元々は周りを掘りが囲んでいて浮島のようになっていた所です。奥の方が高くなっていて、手前になるにつれて低くなっている。」

周囲の堀、今は埋められていますが、県庁の側が周りより高いため、上り坂になっています。

一方、別の場所でも高低差が。

松江市松江城・史料調査課 面坪紀久 さん
「(記者:奥の真ん中辺りが明らかに高くなっていますね。)そうですね。この辺りは松江城が出来る前には白潟砂州といって砂州が展開されていましたので、周辺よりは若干、微高地になっています。この辺だけ島みたいにぽっかり浮かんでいたということが新聞に書かれています。」

大橋川の南側、白潟本町も浸水せず、当時の新聞に「まるで新しい島のよう」と書かれています。

また51年前、1972年、昭和47年の水害は、当時の水の高さが町のそこかしこに表示されていて、市民に強い印象を与えています。
当時の写真は数多く残されていて、こちらはJR松江駅から500メートルほどの国道9号と見られます。

松江市松江城・史料調査課 面坪紀久 さん
「(記者:こちらがこの後ろの通りの写真と思われるんですけれども?)水が引き始めた位のお写真だと思うんですけども、ひざ下位までは来てるということが分かりますね。」