「村田門左衛門(むらたもんざえもん)」江戸時代のある人物として以前紹介しましたが、皆さんはご存じでしょうか?

江戸時代初期の「密偵=スパイ」による報告書が見つかり、それが肥後藩から派遣された手のものであることがわかりました。
その密偵の名は「村田門左衛門(むらた もんざえもん)」
彼は薩摩で何を見たのでしょうか?しかし彼自身に関する記録は一切無く、謎の人物のままでした。
しかし今回意外なところから、その「村田門左衛門」の正体が明らかになったのです。
江戸時代初期に薩摩藩に送られていたスパイ
今年5月、熊本大学が発表したのは、新たな歴史文書の発見について。
熊本大学永青文庫研究センター 稲葉継陽センター長「1651年に薩摩に派遣された『密偵』の報告書『18か条の原本』が発見されました」

「密偵」とは今でいう「スパイ」のこと。熊本・肥後藩から鹿児島の薩摩藩にスパイが送り込まれていたというのです。
当時、鎖国体制をとっていた日本。
貴重な外交窓口の役割を担っていたのが薩摩藩でした。

しかし、幕府は薩摩と外国が関係を深めることを懸念。薩摩の情勢を常に把握しておく必要がありました。
そこでひと役買ったのが、熊本藩が送り込んだスパイ「村田門左衛門」です。

門左衛門が残した資料には、薩摩藩の重役しか知らないであろう「対外政策」や「経済状況」など貴重な情報が記されていました。
ただ、そんな凄腕のスパイだからか…。
稲葉センター長「村田門左衛門という(名前が出てくる)のは今回が初めてですね。(それ以上の)情報がないですね」

素性は一切不明。謎に包まれた存在でした。
しかし意外なところから謎の解明が進むことになります。