娘と対面した母…遺体を見て頭に浮かんだのは「隠さなあかん」

▼渡邊達子さん「『遺体は見ない方がいいと思います』という話だったんですけど、見ないという選択肢が私にはなかったので、『会います』と言いました。会った時の4人の反応が、ものの見事にバラバラでした。」

「夫は『骨格、顔の骨格が美希子だ』と言いました。美希子の兄は『ひどい』とだけ言いました。」

「私は、お葬式をせなあかんけど、一般のお葬式のように『見てやって』と言えるような姿ではないから、『隠さなあかん』と思ったんですよね。」

「最初に頭に浮かんだのは『隠さなあかん』でしたね。家族でもやっぱり反応バラバラだというのを、あの時改めて思いました。」

――想像できないほどの悲しみ、むなしさ、怒りがあったはずです。遺体となった美希子さんと対面し、お父さんは「骨格が似ている…」としか、達子さんは「隠さな」と思わざるをえなかった…一般的な“別れ”では決してないその場面を想像すると言葉も出ず、メモを取る手が震えました。

“報道”とは?

▼渡邊達子さん「少しして『実名報道されますか』という話がありました。夫が『美希子は何も悪いことしてないから、逃げ隠れする必要はない』と言ったので、『いいですよ。実名報道はOKです』と言いました。」

「そうすると我が家に、(記者が)来るようになったんですね。ほとんどが若い方でした。私の子供たち世代。『ずるいやろう』と思いました。年配の方がこられたら、『あなた、私と同じぐらいの年齢ならわかるでしょ』と言えるけど、若い人たちをよこすのはずるいと思いましたね。」

「家族が悲しんでいるのは当たり前の話で、記事という観点ならば、親のところに来るのではないだろうと。何でこんなことが起こったのかを調べて書くのが、報道の人たちの使命と違うのか、とも言いました。」

――まっすぐに突き刺さる言葉でした。殺人事件の被害者遺族を、私は取材したことがありません。先輩から教えられた「悲しみを繰り返さないため」という“報道機関の役割”は理解しつつも、そうした状況に置かれた人にマイクやカメラを向けるなんて、本当はしたくはない。

 もし記者としてその場に立った場合、私には何が伝えられるのか、何を伝えるべきなのか、どう向き合うべきなのか。凄惨な事件の話を見聞きするたびに、自分の使命と倫理観の間で葛藤が生まれます。

――その後、達子さんのもとに、美希子さんの遺品が戻ってきました。