この週末、大きく動いたのが石垣島です。自衛隊の駐屯地の配備が完了して、18日には弾薬が運び込まれました。
島では今、何が起きているのか。戦争体験者のまなざしを通してみつめます。

石垣島に陸上自衛隊の駐屯地が開設された今月16日。正門の前で、民謡にのせて抗議の声をあげていたのは、沖縄戦の体験者、山里節子さんです。
山里節子さん「吐き気を催すような、私たちにとってはそんな光景です。国の力と私たちの力はライオンとネズミのようなもので、つい私『あなた達を見ていると敵より怖いよ』と言ってしまった」
配備計画が発表された当初から反対の立場を取り、声をあげ続けてきた節子さん。その根源は、幼少期の戦争体験にあります。

沖縄戦当時7歳だった節子さんは、旧日本軍によって、蚊を媒介する感染症「マラリア」がまん延していた山間部に、強制疎開させられました。疎開先でマラリアに感染し、食料も底を尽きて、家族8人の内、母親を含む4人が亡くなりました。

山里節子さん「特に沖縄の人たちが身をもって体験してきた、軍隊は住民を守らなかったという部分を(国が)どう受け止めているのか、あの時と今と変わらない状況、それはもう憤りを超えていますよ。どう表現したらいいか言葉無いです。はっきり言って」
武力を持つことで島が戦場になることを恐れて、自衛隊の配備に反対してきた節子さん。その「武力」が、島に運びこまれたのは、18日。海上自衛隊の輸送監が石垣港南ぬ浜の旅客戦ターミナルに着岸しました。
ターミナルに集まった住民は、巨大な輸送艦を前に不安の声を口にします。

住民はー
「これからの子ども達は基地が普通と思うようになるでしょうね」
「本当に戦争の準備がここまで来たのかという思いです」
住民らは弾薬の搬入を防ごうと、ゲートの前に立ちはだかります。しかし警察によって排除されます。

山里節子さん「あそこ(歩道)に行って立つから、行かせて。ただそれだけだよ。私ミサイルじゃないよ。爆弾でもないよ。人間だよ」
近くで抗議したい、その願いすら叶わず、弾薬は駐屯地へと運ばれていきました。
翌日、駐屯地の近くで、これまでと同じように、抗議活動を行う節子さんの姿がありました。
山里節子さん「配備されるのを拒絶してきたけど出来てしまった。でも、出来てしまったものを撤去に向けて運動転換して、私的に言えば形あるものは壊れてしまう。戦争の形はみんなで壊そうという思いでいます」

節子さんは、心情を即興で伝える八重山民謡「トゥバラーマ」で「戦争を止める手を休めてはならない」と歌い、「昔は恋愛の歌も多く歌っていたけども、最近では怒りを伝えることが増えてしまった」と話しました。