2月26日の大阪マラソンで2時間06分45秒の初マラソン日本最高をマーク。日本人トップの6位に入った西山和弥(24、トヨタ自動車)が、MGC(マラソン・グランドチャンピオンシップ。五輪代表3枠のうち2人が決定)について語った。西山は東洋大3年時に前回のMGCを沿道から見て、マラソンで戦う意思を固めたという。大学後半は不調から自信を持てない時期もあったが、トヨタ自動車に入社して復調。大阪マラソンの快走で再び、MGCやその先の“世界”で戦う意思を強くした。
19年MGCの服部を見てマラソンへの思いを強くした西山
西山がマラソンへの思いを強く持ったのが、19年9月に行われた前回MGCだった。
スタートから飛び出した設楽悠太(Honda・31)が、大胆な独走劇を見せてファンの度肝を抜いた。設楽が後退した終盤は、優勝した中村匠吾(富士通・30)と2位の服部勇馬(29、トヨタ自動車)、2位の大迫傑(31、ナイキ)が40km過ぎまで激闘を繰り広げた。その結果、中村と服部が翌20年に開催予定だった東京五輪代表を決めた。日本のマラソン史上に語り継がれる名勝負だった。
西山は「銀座と30km過ぎ」で観戦し、東洋大の先輩たちを応援した。
「東京の中心を少数精鋭の選ばれたランナーたちが、すごい声援の中を走っていることに感動しました。この舞台に自分も立てたら、と思った大会です。独走する悠太さんも、大迫さんに競り勝った勇馬さんも、目に焼き付いています。マラソンを強く意識するキッカケになりました」
大迫のようにスピード系の練習を多く行う選手もいれば、服部のようにジョグ感覚でマラソンを走れるようにアプローチしていく選手もいる。選手によって練習の取り組み方が違うことも、当時から西山は理解していた。
西山は東洋大1、2年時に駅伝とトラックで大活躍した選手である。箱根駅伝1区で2年連続区間賞を取ったことはよく知られているが、2年時の日本選手権10000mで4位に入ったことが、長距離関係者間では高く評価された。世界を目指す選手の1人として期待されていたのである。
「東洋大は駅伝で活躍するのと同じくらい、世界を目指すことを目標、理念としています。酒井俊幸監督が実業団のコニカミノルタ時代のご経験をもとに、世界を目指すための指標を示してくれたんです。1学年上の相澤晃(25、旭化成。10000m日本記録保持者、箱根駅伝2区日本人最高記録保持者)さんが、その理念で練習を積み重ねて成長されたのを見ていました」
MGCは、自身が世界へ挑むために戦わなければいけない大会。その認識を4年前に強くしていた。
今年のMGCは「経験すればいい」から「自分にもチャンス」に
しかし大学3、4年の西山は低迷する。駅伝では区間中位以降の走りしかできなかった。1、2年時が良かっただけに、メンタル的にも落ち込んだ。「陸上は続けられないかな」と思っていた頃もあった。
原因は故障が続いたことだった。練習が不十分でも東洋大のエースとして、自分が走らなければいけない。その気持ちがマイナスに働いてしまったのかもしれない。
「走り方を忘れてしまった時期もありました。右の恥骨の故障が長かったのですが、そこに痛みが出ると体幹の踏ん張りが効かなくなります。その状態が続いて、動きにズレが生じてしまいました」
21年にトヨタ自動車に入社して、「ハマらない」と感じていた動きが改善され始めた。
「佐藤敏信総監督(当時監督)や熊本剛監督(当時コーチ)から、考えすぎる癖があることも指摘していただきました。あれこれ考えず、レースや(負荷の大きい)ポイント練習に集中するようにしました」
その年の秋には10000mで27分48秒26と、シーズン日本人7番目の自己新を出した。練習をしていく中でも「良い方向に向かっている」のがわかったという。
しかし、すぐに自信を持てたわけではない。
昨年9月の英国遠征(ハーフマラソン)で、大迫を見て学ぶところが多かった。動きを改善し、練習も多くした。10000mでは自己記録に迫ったが、思い入れの強い駅伝では低調な結果に終わった(ニューイヤー駅伝6区区間19位)。
大阪マラソンの目標を「2時間8分前後」としていたが、日本人トップや、世界陸上代表選考の俎上(そじょう)に上がる結果までは期待していなかった。「練習もまだまだできていません。勇馬さんや(22年世界陸上オレゴン代表だった)西山(雄介、28)さんを見て、自分はまだ足りていない」と感じていたからだ。
今年10月のMGCも「僕はまだまだマラソンの経験がない。オリンピックを目指すというより、本当に目指している方々の中で勝負をして、しっかり経験を積む」と位置づけていた。
ただ、これはレース直後にコメントしたことで、大阪マラソンから数日が経つと、世界への意欲を強くしていた。
「今までも世界大会を目指したいと思っていましたが、あやふやなところがあったと思います。大阪マラソンの走りで自分にも、(MGCを勝ち抜く)チャンスはあると感じました。今回の2時間6分台は、記録を狙う流れのレースで出すことができました。スピードに変化をつける練習も多少はやっていましたが、30kmまでは3分00秒のペースで進むことを想定した練習で臨みましたね。今後はMGCに向けてペースの変化をつけた練習もやっていかないといけません」
東洋大とトヨタ自動車で先輩に当たる服部は、優勝した18年福岡国際マラソンの35km以降で大幅なペースアップを見せた。前回のMGC終盤でも、前述のように大迫に競り勝った。
「勇馬さんは練習の中でも(ペース変化を)意識して取り組まれています。自分は今まではまだ、そのレベルではないと思っていましたが、これから質問していきます」
取材中、スタッフや恩師など周囲への感謝を多く述べていた西山。人のつながりも最大限に活用して、10月のMGCに向かって行く。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)