太平洋戦争中、原因不明の爆発で沈没した旧日本海軍の戦艦「陸奥」の乗組員を追悼する慰霊祭が8日、山口県周防大島町で行われました。

戦艦「陸奥」は旧日本海軍の「旗艦」で、当時最強と呼ばれていました。
今から83年前の1943年6月8日正午すぎ、周防大島町伊保田と岩国市柱島の間の瀬戸内海で原因不明の爆発で沈没し、1121人が犠牲になりました。
慰霊祭にはおよそ60人が参列しました。
陸奥の最後を見届けた三好輝彦艦長の孫・三好哲史さんは、母の明子さんとともに海に沈んだ祖父をしのびました。
三好輝彦艦長の次男の妻 三好明子さん(93)
「私もこの年になりましたが、こんなに長いこと、この町の人々が大事に思ってくれて、こういう式を続けてくれることをとてもありがたいことだと思ってます」
三好輝彦艦長の孫 三好哲史さん(56)
「戦争を知る世代がだんだんいなくなってしまっているところですが、母から話を聞くこともありますし、そういったものをまた次の世代に伝えていければなと思ってます」
東京から訪れた木村文保さんは、父の三郎さんが陸奥の乗組員でした。
持ち場の第2主砲から離れて艦橋に上がろうとしたときに爆発が起き、傾く甲板から海に飛び込んで3時間ほど泳いでいたところを助けられたといいます。
長男の尚裕さんとともに初めて慰霊祭に参列しました。
木村文保さん(71)
「父が実際に泳いだ海を見ると、この平和な時代から考えると、本当に若者をはじめ多くの1200人以上の方が亡くなったということを聞いてますので、大変だったなってつくづく感じてます」
沈没した海域が見える公園を訪れ、あの日と同じく霧に煙った海を見つめました。
木村文保さん
「父もこの海で3時間も泳いで幸運にも助けられた」
父の三郎さんは「戦争はあってはいけないことだけど誰かが日本の国を守らなければならない」と常に言っていたそうです。
その教えもあり、文保さんと尚裕さんは自衛官となりました。
木村文保さん
「これから先も平和な日本が永久に続くことを願うだけです」
参列者は、戦争の悲惨さを次の世代に受け継ぐ志と平和への誓いを新たにしていました。














