日米両政府が、米軍普天間基地の全面返還に合意して30年が経過しました。RBCでは「いまだ還らぬ普天間」と題してシリーズ企画をお伝えしていきます。この記事では、戦後から全面返還合意までの経緯や、合意から現在までの30年の変遷をまとめています。

【目次】
- 沖縄戦~1990年代(このページ)
- 2000年代~
- 2010年代~
- 2020年代~

沖縄戦~1990年代

土地を接収し普天間基地を作る米兵(1945年)

1945年
米軍が土地を接収し普天間基地の滑走路が建設される。ヘリ部隊を中心とした海兵隊を支える現在の普天間基地の歴史が始まる

1995年
米兵による少女暴行事件をきっかけに開かれた県民総決起大会で県民が怒りの声を上げ、沖縄の基地負担軽減を求める機運が高まる

当時の大田昌秀知事は民有地を米軍用地として強制使用するための「代理署名」を拒否。基地の安定使用が危ぶまれ、日米両政府は沖縄の基地の整理縮小などを協議する「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)を設置する。県は、危険性が高く、経済振興の妨げとしても長年問題視されていた普天間基地の返還を求める

普天間基地の返還合意を発表する橋本龍太郎総理(当時)1996年4月

1996年4月12日
日米両政府は、普天間基地の全面返還に合意。「県内移設」が条件で、その後の迷走の起点となる

1999年
当時の稲嶺恵一知事が「15年の使用期限」などの条件を示しながら名護市辺野古沿岸地域への移設を表明