2022シーズン限りでの現役引退を発表していた、サッカー元日本代表でJ2横浜FCの中村俊輔(44)が10日、都内で引退会見を開いた。
自身が好きな言葉に挙げる「夢ある限り道は開ける」と書かれたボードの前に座った中村は、会見冒頭「明るく楽しい時間にしたいので宜しくお願いします」と挨拶。小野伸二、川口能活、遠藤保仁、三浦知良ら、共に戦った仲間たちから寄せられたメッセージ動画に「本当にカズさんはじめ、みなさんからメッセージを受けて感動しました。遠藤選手が少しふざけていたんですが」と笑顔で感謝した。
1997年、サッカーの名門・桐光学園(神奈川)から横浜マリノス(現、横浜F・マリノス)に入団。Jリーグ年間最優秀選手に2度(2000、2013)、ベストイレブンに3度(1999、2000、2013)選出されるなど、左足からの正確なキックで、J1歴代最多記録となる直接フリーキック24ゴールを挙げた。日本代表では「10番」を背負い2006年ドイツW杯、2010年南アフリカW杯に出場するなど通算98試合で24得点。司令塔として日本代表をけん引した。
多くのファンを魅了した代名詞のフリーキックだが「それだけって言われるのは嫌なので意識したのはプロに入ってから」と明かした中村。「ゲームを支配する力とかプレーのおまけみたいな感覚でやってただけなんですけど、気づくとねフリーキックが残ったっていうのは自分でも不思議な感じですけど、やってて良かったっていう感じですね」と思いを語った。
「30(代)後半くらいからはいつでも(引退)できるように、悔いのないようにという気持ちでやっていた」。今季に入り「足首の状態がよくなくなって、そこからですかね。相談したのは家族で、妻ですね」と、引退を決断した。
引退後は「自分が小学生から教わった先生だったり、監督さんだったりが自分にしてくれたこととか支えてくれたこと、そういうのを自分が指導者としてやることで恩返しになるかなと、そういう風に考えてますね」。指導者としての目標は「今はまだないですね」としながらも、「こうなりたいというよりもこうはなりたくないなという思いはありますね。これからはゼロで、すこしずつ皆さんの経験を自分に吸収して作り上げていくところだと思うので、柔軟にやっていきたい」と語った。
3歳からサッカーを始め、40年以上。「原動力は自分の中から出てくる情熱、うまくなりたい、サッカーが好き、それにつきる」と“天才”と言われながらも努力を欠かさなかった。
「まさか40歳過ぎてカズさんと一緒にできると思わなかったですし、自分より、なんだろうな…サッカーが好きというか情熱的な選手と横浜FCで会えたことは自分の中で財産ですし。日本代表のためにやっていたんで、そういう仲間たち、今もメッセージくれた選手たちですね、そういう人たちに囲まれたのは大きかったですね」。26年間のプロサッカー人生を振り返った。
■中村俊輔プロフィール
1978年6月24日生まれ、44歳。神奈川県出身。178cm、71kg
横浜深園SC~日産FCJrユース~桐光学園高~横浜マリノス/横浜F・マリノス~レッジーナ/
イタリア~セルティックFC/スコットランド~RCDエスパニョール/スペイン~横浜F・マリノス~ジュビロ磐田~横浜FC。1997年4月にJリーグ初出場(当時横浜マリノス、対G大阪戦)、翌月3日の平塚戦でJリーグ初ゴール。
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