「長嶋さんが守っていたサード側の正面で西に向いて見ていた、(長嶋さんが)プロに入って初めてこの球場で、このバッターボックスで打ったのが、弾丸ライナーで、コンクリートの上の方にカーンとホームランが入った」

長嶋さんのプロ初ホームランを見たと話すのは、高松市出身の元プロ野球選手山口富士雄さん82歳です。現在の中央公園が中央球場だった1958年、ここで行われた巨人のオープン戦に中学3年生の山口さんも観戦に訪れていました。

(山口 富士雄さん)
「カリスマ性があるというか存在感があるというか、子どもながらすごいなと思って、ずっと見て釘付けでした。ほかの人の動きはあまり見ないけど、長嶋さんばっかり見ていました」
その後、山口さんは長嶋さんと同じく立教大学を経てプロの世界へ…1963年に当時の阪急に入団しました。日本シリーズでは、長嶋さんと日本一をかけて何度も対戦しました。その時の記憶はいまも鮮明だと言います。

(山口 富士雄さん)
「私はセカンドだったから、長嶋さんはホームランばっかり打つ訳ではないから、ヒットを打ってセカンドに来たら、長嶋さんの方から「おい山口君元気かい」と「元気です。ありがとうございます」と言うと「頑張りなさいね」と」
山口さんはともにプロで戦った「憧れのスター」をねぎらいました。
(山口 富士雄さん)
「言葉はないです。ご苦労様ですと。お疲れ様でしたというぐらいしかいま言えるとしたらそんな言葉しかないかなと、日本シリーズではお世話になりましたというくらいしかない」

日本の野球文化を牽引した「ミスター」の功績は、その姿を知る多くの人の心に刻まれた永久に不滅な記憶です。