かつて富山の砺波平野の各地をつないだローカル鉄道「加越線」。廃線からちょうど50年ですが、当時の面影を残す駅舎は、今も親しまれています。松井達雄カメラマンのリポートです。
かつて、小矢部市の石動駅と旧庄川町の庄川町駅を結んでいた鉄道路線「加越線」。

全線が開通したのは1922年(大正11年)。この地域の人々や物資を運び、1972年(昭和47年)まで地域を支えました。

ことし2022年は廃線から50年、全線開通からは100年の節目にあたります。

南砺市に住む香川信行さん、加越線の元運転士です。
加越線元運転士 香川信行さん:
「その当時は割と汽車に乗っている人は多かったですよ。この辺りの地域の足ですね。ありがとうとか言う人がいた。降りていく時に運転士の横に来て。運転士をしていて良かったなと思いました」

南砺市井波にある旧井波駅舎。今では唯一加越線の記憶を伝える建物です。

駅舎は寺院のようなたたずまいで、1934年(昭和9年)に建てられた総ヒノキ造り。

井波を代表する宮大工、松井角平によって建てられました。

駅舎は井波の玄関口として賑わい地域と共に歴史を重ねてきました。
昔から駅舎の近くに住む 江田攻さん:
「加越線の駅(旧井波駅)に向かって走ってくる人たち、あるいはその頃の高校生の履いていた下駄の音で目が覚めたくらい。子どもの時は、ここの住民にとっては大事な生活のなんていいますかね。時を告げたり、何かとても大事なものだったのでしょうね。子どもにとっては一つの都会に出ていくためのものでしたから」

加越線がなくなってから井波駅舎は物産展示館や売店として使われていましたが、今はバスの待合いやタクシー乗り場として親しまれています。
加越線元運転士 香川信行さん:
「唯一、井波駅しかないでしょう。たまに井波の駅前に行ったりすることがありますが、昔ここに汽車が走っていたとかそういう思いはあります。今のまま現状維持でやっていってもらえたら、昔からいた人たちからは記憶に残る建物の一つではないかなと思います」
昔から駅舎の近くに住む 江田攻さん:
「駅舎としての存在、加越線というものがあったよという形の資料館的なものに使われたらいいなと、私は思うのですけどね」

砺波地域の足として、今の小矢部、南砺、砺波をつないだ加越線。廃線から50年の月日が流れましたが、旧井波駅舎が今もローカル鉄道の記憶と温かさをつないでいます。