娘を頼って避難 着の身着のまま福岡へ

2人の日本での生活を支えてきたのは、福岡市に住む娘の平山アンナさんです。
戦争が始まってすぐに避難してきたため、夫妻の手元に思い出の品や写真などはほとんどありません。

ラリーサさん
「3年前はもう完全に戦争状態になったから、毎日朝から晩まで爆弾とかロケットの音とか聞こえたり、近くに落ちたりしました。それがすごく不安で怖くて、1日で準備して日本に来ました。頭があの時は真っ白でした」
娘のスマホに残された12年前のウクライナと家族写真
娘のアンナさんのスマートフォンには、ウクライナの自宅など故郷で撮影した写真が残っています。

平山アンナさん
「12年前に撮影した写真ですね。私が最後にウクライナに行った時のもの。あれから行ってないですよね」

写真には、まだ幼いアンナさんの子どもたちも一緒に映っていました。
平山アンナさん
「まだ、子供たちも小さいし・・・今この子たちも21歳と15歳ですね。大きくなりました」

ラリーサさん
「久しぶりにまた一緒に写真を見てとっても懐かしかったです。すごく寂しくなって、みんなに会いたくなって、戻りたい気持ちが少しありますけど、今のところは絶対戻れないので、本当に寂しい、悲しいです」