高知県の南東部、徳島県との県境にある馬路村。人口750人の小さな村だが、有機栽培面積が83パーセントと日本一を誇り、「ゆずの村」として全国的に注目されている。
地域特産のゆずを使った、今年40周年を迎える「ぽん酢しょうゆ ゆずの村」や、清涼飲料水「ごっくん馬路村」などのヒット商品を生み出し、ゆず加工品は年商約30億円規模にまで成長。地域ブランドの先駆け的存在としても全国的に知られる。
その戦略と次なる構想について、昨年、馬路村農協の組合長に就任した長野桃太(ながの ももた)さんに話を聞いた。
産地ならではの品質を追求した商品作り
もともと、「林業の村」として知られた馬路村。森林率が96パーセントと、全国一位の森林率を誇る高知県の中でも山深い立地だ。
戦後、一時的に木材需要は高まったものの、住宅構造の変化や安価な輸入木材の台頭などにより、瞬く間に林業は衰退。新たな産業として1963年に始まったのが、ゆずの栽培だった。
そのゆず産業を、牽引してきたのが馬路村農協だ。当時の組合長の旗振りのもと、加工品にゆずの活路を見いだした。加工の軸となるのが、ゆず果汁だ。
馬路村農業協同組合 代表理事組合長 長野桃太さん
「馬路村のゆずは、果汁の香りが豊かなのが特徴です。山あいで日照時間も少なく、皮が厚く玉が小ぶりに育つため、(玉の状態で販売する)青果には向かないのですが、加工品としてはベスト。なぜなら、果汁にするときは小ぶりで皮の厚みがある方が、香り成分の割合が増えるからです。産地で作る加工品という自負があり、果汁の品質や鮮度にはとことんこだわっていて、ゆずの香りファーストの賞味期限設定とするため、やや短めとなっております」
「田舎の村らしさ」こそが強みになる
馬路村農協が、ゆずを使った加工品に力を入れ始めたのは、1975年ごろにさかのぼる。高知県では「ゆず酢」と呼ばれるゆず果汁は、山間部を中心にすしや酢の物などに活用されていたが、県外では知られていない。そのため県外でも売りたいと考えた際、まずは高知の食文化を知ってもらう必要があった。
そこで宣伝と顧客開拓のために、各地の物産展に積極的に出展する中で、通販需要の可能性に気づく。作りたてをすぐに届けられるという産地ならではのメリットに加え、搾汁(さくじゅう)から保管、製造、配送まで自分たちで一貫できる体制も、通販の強みになると考えた。
転機になったのが、1988年に東京の西武百貨店で開催された物産展に出展し、「ぽん酢しょうゆ ゆずの村」が最優秀賞を受賞したときのことだ。受賞を機に、売り上げが倍々に増加。この時、商品に村の空気感をのせて届ける「村をまるごと売っていく」という考え方が、農協全体の共通認識として定着していった。
長野さん
「『ゆずの村』は、『村をまるごと売っていく』という考え方の第1号商品です。物産展に出展を重ねる中で、都会には地方出身者も多く、田舎に親しみを感じてくれる空気を感じていました。それまではどこか、都会を追いかけていたイメージだったのが、そうではなくて田舎の村らしさを出した商品作りこそが強みになるという考えに変わった。都会らしい洗練されたデザインが求められる時代だからこそ、それを逆手に取って『村を売ろう』と考えたのです。以来、商品のみならず『村を伝える』ための情報発信に力を入れています」


村の情報を発信する上で、大事にしているのが広報資料だ。通販向けのパンフレットカタログに同封される「うまじむら新聞」は、写真や文章をはじめ、長野さんも携わって作っているという。
村の空気感と、農協の考えが伝わるように、年に3回発行している。「新聞を書く目線で村を回るのが、仕事にも活きていると思います」と長野さんは語る。
「スモール・イズ・ベスト」な地域づくり
半世紀にわたってゆず産業をけん引した元組合長の後を継いだ長野さんは、昨年、38歳の若さで馬路村農協の組合長に就任した。大学で地域社会学を学び、「馬路村農協が一番面白い取り組みをしていると感じた」と志願して2009年に農協に入組。同時に、出身の高知市から馬路村へと移住した。
広報資料を制作するデザイン室や工場での製造業務などを経て、2015年に販売課長、そして2025年に組合長に就任した。
長野さん
「元組合長が作り上げたゆず産業が第1章とすれば、私はそれを継いだ第2章だと思っています。馬路村農協には、ゆず産業に取り組み始めた『創成期』、商品が右肩上がりに売れていった『全盛期』、売り上げを維持する『安定期』という流れがありました。私が農協に入ったのは、ちょうど全盛期から安定期に入ろうとする頃でした。創成期は何かをやろうとするエネルギー値が高い一方で、安定期に入るとその熱量まで安定してしまう感覚があった。でも、ただ安定だけを求めていたら、農協も村もいずれ衰退してしまう。そんな強い危機感を感じたのです。もう一度、農協全体のエネルギー値を上げていきたい、その思いで新組合長に手を挙げました」
長野さんが描く第2章の構想は、農協の枠にとどまらず、地域全体の未来を見据えている。長野さんが目指すのは、「スモール・イズ・ベスト」の精神のもと、人生の最期に「この村で過ごせてよかった」と思える村づくりだ。
例えば、教育。現在、馬路村には中学校までしかなく、若者は高校・大学進学とともに村を離れる。そのまま村に戻る若者が少ないことは、村にとって深刻な課題となっている。そこで長野さんが構想しているのが、有機農業を核に据えた農業学校のような高校の創設だ。
馬路村では2001年から、村ぐるみで有機農業に準ずるゆず栽培に取り組んできた。加工の際に出る残滓(ざんし:ろ過をした後の皮などのかす)を堆肥化して畑に戻す「有機循環農法」を確立したのも、馬路村ならではの取り組みの一つとして知られる。
2024年には、2050年までに全国の有機農業面積を25パーセントまで拡大することを目指す農林水産省の取り組みに呼応し、地域ぐるみで有機農業を推進する「オーガニックビレッジ」になることを宣言した。
長野さん
「村外に出た子どもたちが、なかなか村に戻ってこない現状があり、その課題解決の一つとして、村に高校のある景色ができたらいいなと思っています。一番の目的は、子どもたちが村に誇りを持てる、独自の村づくりをしていくことです」
さらに長野さんは、福祉の分野にも目を向けている。馬路村の高齢化率は約40パーセント(2020年時点)と、全国の過疎地の例に漏れず深刻な課題となっている。一人暮らしの高齢者も多いが、村内には飲食店やスーパーが数軒しかなく、日々の食生活を支える仕組みが今後大きく不足してくる。
「そこで高齢者のための食の提供を考えています」と長野さん。例えば、焼き魚定食などの冷凍食品を農協が事業化する計画を練っている。
長野さん
「農協が農業の部門だけを担うのではなく、教育や福祉など村の様々な課題を引っ張っていくこうしたあり方は、人口750人という少人数が暮らす馬路村だからこそ実現できることだと思います。地域づくりは、行政に頼るだけではいけない。農協がゆずの加工販売で引っ張り、それを組合員と村の中に還元する仕組みを作っていけたらと考えています」
プライベートでは3人の子どもの父親でもある長野さん。高知市から移り住んで17年経ったいま感じるのは、「不便だからこそ、感じる幸せがたくさんある」ということだ。
長野さん
「馬路村では人と人との距離感が近くて、道をすれ違う人全員とあいさつをします。仕事もプライベートも寝ることも、すべてが『暮らす』ことの一部なんです。頑張る理由が何かと言われれば、隣のおばちゃんの笑顔を見たいとか、この村の人たちの生活を守るため、という風に目的が見えやすい。人が暮らす、生きることの、自然な形がここにはあります。ビジネスを追求したければ農協で挑戦できるし、ゆっくり過ごしたければ、田舎暮らしのスローライフも楽しめる。両方が成立する田舎は、あまり多くはありません。人口750人の村では、 一人一人の存在感が大きく、自分がここにいる意義がとても分かりやすいと感じています」
現在、馬路村農協で働く人は約100人。村の7.5人に1人が農協勤務という計算になる。さらに村世帯の約半分がゆず農家であり、まさに村をあげて、ゆず栽培と全国への加工品出荷に取り組んでいる。
ゆずの加工品は、ぽん酢しょうゆやドリンクに始まり、リキュール、調味料、化粧品とラインアップを拡充。近年はギフト需要も高まっており、2027年には、スイーツ事業への本格的な参入も計画中だ。
長野さん
「ゆずのおいしさはもちろんですが、『こんな小さな村が日本に存在しているんだ』ということも知ってもらえたら嬉しいです。地域や商品がなくなる時というのは、その存在が忘れ去られた時だと思うので。これからも『こんな村がある』というメッセージとともに、商品を届けることを、真摯に頑張っていきたいと思っています」