米や生鮮食品など、身近な物価が上昇し続けている。そんな中、国立大学も授業料の値上げに動き出した。東京大学は2025年度から、国が定める標準額53万5800円から上限(標準額の1.2倍)の64万2960円へと引き上げ。2026年度も、4つの地方国立大学が上限額への値上げを決定している。

奨学金を受給する学生の割合も少なくない。日本学生支援機構「令和4年度 学生生活調査」によると、奨学金を受給する学生の割合は大学(昼間部)で55.0%、短期大学(昼間部)で61.5%。全国の大学生・短大生のうち、じつに半数以上の大学生・短大生が奨学金を利用しているのだ。しかも、前回調査より奨学金を受給する大学生は5.4ポイント、短大生は4.6ポイントといずれも増加。それだけ、経済的に厳しい学生が増えているとも言える。

「給付型奨学金」で夢の第一歩を踏み出せた子も

一方、奨学金支援を受ける学生の中には、経済的に厳しい状況に置かれながら、夢への第一歩を踏み出すことができた若者もいる。

たとえば、公立高校3年生のAさんは、部活を頑張りながら英語のディベート力を磨き、全国大会に出場。卒業後は県外の大学への進学を目指している。

国立大学工学部のBさんは、学部生でありながら目覚ましい研究成果を上げて、学生賞を受賞。大学院への進学を果たした。

国立大学医学部に入学したCさんは、「地域医療を支えられる医師になる」という夢を叶えるべく、在学中から離島実習や在宅医療実習に参加。現在は研修医として研鑽を積む日々を送っている。

彼らは、費用のかかる教材購入や遠征、遠方での実習などをあきらめることなく勉強を続けられた理由に、返還義務のない「給付型奨学金」の支援を挙げる。支援したのは、鹿児島市に拠点を置く公益財団法人「アカデミア育英財団」だ。

財団の創設者である西中浩二さんは、個人経営の学習塾や日能研九州・四国の代表として、40年以上にわたり子どもたちの教育に携わってきた。2020年には一般財団法人「アカデミア育英財団」を設立。返還義務のない給付型奨学金によって、鹿児島県内の子どもたち約100人の進学・留学をサポートしてきた。2025年8月からは「支援内容を拡充したい」と財団を公益財団法人に移行し、支援対象を全国の子どもたちへと広げている。

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公益財団法人アカデミア育英財団 理事長 西中浩二さん


貸与型でなく、返還不要の給付型奨学金の財団を立ち上げて、子どもたちを支援し続けるのはなぜなのか。そこには経済的に苦労した、西中さん自身の経験があった。

高校1年の冬に父親が倒れ、家計が悪化

西中さんは1954年、鹿児島県北西部のいちき串木野市羽島で生まれた。羽島は古くからの漁港で、1865年に19人の「薩摩藩英国留学生」が旅立った場所でもある。

西中さんは船員だった父の背中を見て育ち、「中学校を卒業したら漁船に乗って働こう」と考えていた。しかし、中学校の野球部の顧問の一言で気持ちが変わった。

アカデミア育英財団 理事長 西中浩二さん
「『お前は勉強したら大学にも行けるよ』と言われて、その気になって勉強したら、1学年600人中、2番になることができたんです」

卒業後は鹿児島市にある進学校、鹿児島県立鹿児島中央高校へ。朝5時に起きて電車で1時間半かけて通学し、勉強も部活も手を抜かなかった。

ところが、父親が高校1年の冬に脳溢血で倒れ、仕事を続けるのが困難になった。母親も懸命に働いたが、家計の苦しい状態が続いた。だが、西中さんは落胆しなかった。

西中浩二さん
「担任の先生が、防衛大学校や海上保安大学校のような学校なら学費が不要だと教えてくれたからです。頑張ってみて、それでも受からなかったら就職しようと考えていました」

それからは、コタツとテレビを捨てて、一層勉強に打ち込むようになった。夏休みや冬休みには新聞配達もして家計を助けた。西中さんは「自分のお小遣い程度の金額ですよ」と笑うが、勉強と部活を両立しながらアルバイトをするのは決して楽ではなかったはずだ。

こうして、見事現役で防衛大学校に合格した西中さん。次に目指したのは「留学」だった。

あるとき、西中さんは学校の視察に来た外務省審議官を案内する役目を務めた。その際、試験に合格すればアメリカの大学に無償留学できる制度があると教えてもらい、再び勉強のスイッチが入ったのだ。

猛勉強のかいあって、西中さんは選抜試験に合格。卒業後は米ジョージア州立大学に留学を果たした。「あのころは人生で一番勉強しましたよ」と当時を振り返る。

西中さんは、選抜試験の勉強で使っていた英語の教科書とカセットテープをいまも大切に保管している。


塾通いを反対されていた生徒を“条件付き”で支援

しかし、現地での生活費を工面することができず、留学生活は長くは続かなかった。大学を中退して羽島に戻った西中さんは、地元の中学校の野球部でコーチを始めた。その後、25歳で学習塾「西中アカデミー」を開設する。

西中浩二さん
「野球を教えて、ついでに勉強も見てあげたのがきっかけです。軽い気持ちで始めたのですが、どんどん生徒が増えていきました。一時期は1000人近くの生徒が通っていたんですよ」

西中アカデミー時代の忘れられない出来事がある。1人の男子生徒が親から塾通いを反対されたが、生徒は塾での勉強を続けたいと強い意欲を示していた。その姿に感銘を受けた西中さんは「何とか勉強させてあげたい」と考え、生徒に”ある条件”を出す。月1回の塾の試験で1番を取り続けることができれば月謝なしで来てもよい、と伝えたのだ。

西中浩二さん
「彼は親の反対があっても前を向いてずっと頑張っていた。そういう子は、こちらも一生懸命応援したくなりますよね」

生徒は西中さんの期待に応えて猛勉強し、中学卒業まで塾のテストで1番を取り続けた。その後、生徒は東京大学に現役で合格し、研究者の道を歩み始める。それが現在、国立大学の教授として教鞭を執るDさんだ。Dさんは当時をこう振り返る。

Dさん
「西中先生から出された条件は簡単ではありませんでしたが、塾に通い続けたかった私にとっては『一筋の光』でした。やるからには中途半端や妥協を許さないという先生の姿勢、続ければ難しいこともできるようになるという経験は、間違いなく、いまの私の糧になっています」

「努力する子どもたちをもっと応援したい」と財団設立

その後、個人経営の学習塾から日能研九州・四国の代表となっても、西中さんの「一生懸命に頑張る子どもを応援したい」という気持ちは変わらなかった。努力しているにもかかわらず、経済的な理由から夢をあきらめざるを得ない状況に置かれた子どもたちを何人も「ポケットマネー」で支援し続けたのだ。

6年前には有名私立中に合格したものの、「親に負担をかけられない」と入学を辞退しようとしていた母子家庭の子どもの学費を支援した。その子どもは、無事に有名私立中に入学して系列の高校に進み、現在、大学進学を目指して勉強を続けている。

このことをきっかけに、西中さんは給付型奨学金に特化した一般財団法人「アカデミア育英財団」を設立した。正式な形で、もっと多くの子どもに支援を届けたいと考えたのだ。思い返せば、西中さん自身が経済的理由で大学進学をあきらめようとしていたとき、留学しようとしたとき、そして留学先のアメリカでも、助けてくれた大人たちがいた。

今度は自分が困っている子どもたちに返す番だ──。そう考えたのだという。

西中浩二さん
「親の職場環境の変化や体調の悪化は、子どもの学びの環境を大きく左右します。しかし、子どもが勉強の時間を削ってアルバイトをするのは本末転倒です。そこで貸与型でなく、給付型の奨学金を給付する財団を立ち上げました」

中高生に月額2万円、高等専門学校生・大学生・大学院生に月額3万円を1年間にわたり給付。毎年20人の奨学生を募集し、設立から5年で累計約100人を支援した。

奨学生からは毎年、1年間の報告と感謝の声が寄せられる。


ただ、課題もあった。当時は、地域に深く根ざした活動をしていたこともあり鹿児島県内の子どもへの支援が優先され、県外や海外への進学を希望する子どもには支援が難しかったのだ。

そこで、より高い公益性と広域的な事業を行うため、西中さんは2025年8月、内閣総理大臣の認定を受けて財団を公益財団法人に移行した。支援対象を全国の子どもに広げ、県外や海外に進学する子どもにも奨学金を給付できるようにした。

財団では、毎年10月に20人の奨学生を募集している。選考は、書類審査と面接によって行われ、翌年の3月に結果が発表される。現在の給付額は、中高生なら月額2万円、高等専門学校生・大学生・大学院生なら月額4万円を1年間にわたって給付している。さらに、海外への留学や大学進学、大会遠征・コンクールへの出場に対しては、最大50万円を一時金として給付する制度も設けている。

奨学生募集のチラシ。

アカデミア育英財団の奨学生募集要項はこちら

西中浩二さん
「本当に一生懸命な人には、必ず誰かが目を留めて手を差し伸べてくれます。そのことを私は自分の経験で実感してきました。勉強やスポーツ、音楽など、あらゆる分野で夢に向かって一生懸命に努力する子どもたちに、ぜひアカデミア育英財団の奨学金を活用してほしいですね。自分の夢を実現できたら、今度は世の中のためにその力を使ってほしいと思います」

「財団を通じて、努力する子に広く支援を届けていきたい」と語る西中さん。


学ぶ意欲があっても、夢を諦めざるを得ない子どもがいる。返還義務のない給付型奨学金は、そんな子どもにとって「一筋の光」となるだろう。支援内容を拡充して新たなスタートを切ったアカデミア育英財団。これからも、学びたいと願う子どもたちの背中を後押しする力強い存在となるに違いない。