琉球王朝時代に首里王府が整備した公道、宜野湾市の「野嵩スディバナビラ石畳道」が県の指定史跡に指定されることになりました。

宜野湾市の「野嵩スディバナビラ石畳道」は、15世紀の琉球で起きた戦乱「護佐丸・阿麻和利の乱」で護佐丸の妻子がこの道を逃げ、追手から放たれた矢が妻の衣服の袖を引き裂いたといわれる言い伝えから、「袖離れ坂」スディバナビラと呼ばれるようになったと伝えられています。

18世紀後半頃には首里王府が整備したとみられ、普天満宮へ参詣する道と勝連方面への主要道とを結んでいました。

斜面に造られた道は、比較的勾配の緩い東側では真っ直ぐに伸び、勾配のきつい西側では蛇行して勾配を緩めるという違いがみられ、当時の土木技術を解き明かすうえで重要な遺跡だということです。

県史跡への指定は、去年11月の「第32軍司令部壕」以来これで57件目です。