プロ野球での活躍を夢見る全選手にとって運命の日が迫る。今年で60回目となるプロ野球ドラフト会議が、今月24日に開催される。どこの球団でも指名されれば喜びもひとしお、というわけではない。
「巨人に入れなかったっていうのは、今でも悔しいというか、残念だなと思いますよ」こう話すのは、打者の手元で鋭く曲がる“カミソリシュート”を武器に、通算201勝をあげた平松政次氏だ。
1965年にドラフト制度が導入されるまで、各球団は自由に選手と交渉し契約していた。平松氏の元にも高校時代に巨人側からアプローチがあったといい、自身も子供の頃から憧れだった巨人への入団を熱望していたが、高校3年次に突如NPBでドラフト制度が導入された。
当時の野球部監督からは、“去年入団した選手は5000万円の契約金をもらった。今までのように、各球団が自由に選手を取っていると契約金が上がり過ぎて球団がいずれ潰れてしまう。だから契約金を1000万円以内に抑え、巨人に選手が集中しないようにドラフトというクジが導入された”と説明された。
平松氏が「私は巨人に行けないんですか」と聞くと、監督からは「くじだから12分の1だ」と返されたという。「何で我々が卒業する時に限ってドラフトになっちゃったんだという想いはありました」と当時の気持ちを吐露する。
結局、第1回ドラフト会議で巨人は甲府商・堀内恒夫投手を1位で指名。平松氏は中日に4位で指名を受けたが入団せず、日本石油(現・ENEOS)に入社した。社会人で野球を続けながら翌年のドラフト会議を待ったが巨人からは指名されず、大洋ホエールズから2位で指名を受けた。
巨人から指名を受けるまで社会人で野球を続ける考えもあったが「誘われて行くのも男だよ」という家族の言葉と、高校の先輩の説得もあり最終的に大洋ホエールズへの入団を決めた。平松氏は「気持ちを決めるのはものすごく複雑でした」と当時を振り返る。
その後もドラフトについて複雑な気持ちは残ったが、時間が経つに連れ心境にも変化があったという。「職業選択の自由については色々意見はありますが、高校・大学のスターが、巨人一辺倒ではなく色々な球団に入って活躍していく。とても良い制度になったんじゃないでしょうか」と平松氏は評価する。
また自身についても「今では大洋がベストだったと思います。200勝出来たのも大洋のおかげだと思いますね」と冷静に振り返る。
ドラフト制度発足から59年。今年はどんな人間ドラマが生まれるのかー。
◆平松政次(ひらまつ・まさじ)
1947年9月19日生。右投右打。岡山東商業高時代の1965年春の甲子園で優勝投手に。その後、日本石油(現・ENEOS)に入社し都市対抗野球にも出場。1966年第2次ドラフト2位で大洋ホエールズに入団。NPB通算201勝196敗16セーブ。子供の頃の憧れの選手は長嶋茂雄さん。
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