520人の命が奪われた日航ジャンボ機墜落事故。その原因は機体後部の修理ミスにあるとされているが、40年が経った今も、事故原因の“核心”は解明されていない。今回、TBSがこれまで独自に入手した非公開の調査資料と、アメリカ側の証言、さらには隔壁修理に携わったボーイング作業員への取材をもとに、単独機として今も世界最悪の墜落事故を改めて検証した。

「いろんな方に支えられて、優しい山になった」――

今年4月29日、事故から40年目の「山開き」を迎えた群馬県の御巣鷹の尾根には、遺族や日航関係者、メディアなどが多く集まった。その中に、遺族のひとりで「8.12連絡会」事務局長を務める美谷島邦子さんの姿があった。悲しみや怒りを抱きながら登った御巣鷹の尾根…美谷島さんはそんな場所を「いろんな方に支えられて、優しい山になった」と語った。会の活動は今、他の事故や災害の被害者遺族らとの連帯に広がり、御巣鷹の尾根に共に登る交流につながっている。

離陸して12分 機長叫んだ「爆発したぞ」

123便に異変が起きたのは、羽田空港を離陸してわずか12分後のことだった。突如機内に響いた爆発音のようなノイズの直後、機長が叫んだ。「なんか爆発したぞ」。この事故で救出された4人の生存者のうち、非番で乗り合わせていた客室乗務員は、当時の機内の様子をこう証言している。

「バーンという音とともに、酸素マスクが落ちてきました。機内がもう白く濁ったような状態で、耳がツーンという感じで、もうパニックで…その時、私は後ろを向いたら、トイレの天井がスッポリ抜けて天井が無くって、機内の布っていうか、ペラペラした感じのものが見えました」

※事故調による生存者への聞き取りメモ(非公開資料)
※生存者が立ち会い、実施された群馬県警の実況見分 天井左上に「音」の文字

別の生存者も「白い霧」のようなものを見た、と証言している。これは、急激な減圧が発生した際に空気中の水分が凝結して起こる現象だ。

事故直後、アメリカの調査チーム(機体の製造メーカー・ボーイング、NTSB=米国家運輸安全委員会、FAA=米連邦航空局で構成)が派遣され、独自の事故調査を進めていた。ボーイングで事故調査を担当したジョン・パービス氏は、当初テロを疑ったと語る。

「これはテロ事件ではないかと思いました。アメリカ側の誰もが、爆弾の可能性を考え、調べてみる必要があると感じていました」

日本へ向かう前に気になる報告があったという。「機体後部のトイレの後ろから『外の光が見えた…』という話が伝えられていた」。しかし、最終的にこれは誤った情報だった。トイレの壁などを調べたが、爆弾につながる証拠は見つからず、テロの可能性は排除されたのだった。