塁が野球終わりに食べていた思い出の味が、近所にある居酒屋「吉倖」のラーメンとから揚げです。当時はほかの子よりも食べる量が少なかった、小さな少年は、日本を代表する選手へと成長しました。

吉倖 吉村慎次郎 さん
「小学校1年のときからもうずっとレギュラーで試合に出ておりましたので、『どしたん、この子は!』みたいな感じですよね、逆に言ったら」

吉倖 吉村央 店長
「食欲だけですね、ふつう並みは。あと、野球とかなんかではもう本当に子どものときから別格ですね」

週に2回のチームの練習以外も毎日欠かさず自宅で自主練習をした野球少年は、6年生のときに当時、目標としていたカープジュニアに選ばれました。

そのときの帽子は今でも大事に保管されています。帽子のつばには当時のカープジュニアの監督だった 山崎隆造 さんのサインが書かれていました。山崎さんは、当時の “ダイヤの原石” の輝きを今でも覚えています。

RCC野球解説者 山崎隆造 さん
「小学校6年でもいわゆる身のこなしっていうところがやっぱり際立っていたというか、感性豊かな、センスある動きをしていたなっていう印象が残っていますよ」

中学時代は、父親が車で往復3時間かけ、広島市内のクラブチームに通った宗山。

高校は父の背中を追いかけ、広陵に進学。1年生の夏からベンチ入りをし、甲子園や神宮大会と、下級生から全国の舞台で活躍しました。

広陵高校 中井哲之 監督(2020年)
「笑顔10連発に自信がある人」

宗山塁 選手(当時 高校3年)
「(部員を前に “笑顔” …)」