毎年、慰霊の日に糸満市の「魂魄(こんぱく)の塔」で慰霊に訪れた人に花を売ってきた女性がいます。
40年以上もの間花束に込めた沖縄戦の犠牲者への思いを取材しました。

糸満市にある魂魄の塔。
沖縄戦の翌年、住民の手で、野ざらしになっていた身寄りの分からない遺骨が集められ、建立されました。

およそ3万5000人の遺骨が納められ、慰霊の日の6月23日多くの人が訪れました。

この慰霊碑の横に、花の販売所があります。
この場所におよそ40年以上立ち続けていた女性がいます。

大屋初子さん
「こっちでみんなきのうから。お花の準備一杯やったから。これからまたやろうかねと。やろうかねと思ってるけどね。花を」

魂魄の塔の近くに住む、大屋初子さん86歳。
「去年までは(魂魄の塔に)行ったわけ。去年までは“看板ばあちゃんしてるよ”と笑ってたけどさ。自分で」

この日は足の調子が悪く、販売所は娘たちに任せて、裏方作業。
魂魄の塔の前で40年以上戦没者に手向ける花を売る初子さんには、忘れられない記憶があります。

大屋初子さん
「亡くなっている人がいっぱいいるさね。この生臭い血。(戦争が)終わってからも頭から離れなかった。臭くて」


77年前の4月1日、アメリカ軍が沖縄本島に上陸し地上戦が始まります。
近隣の壕や門中墓に身を寄せては、日本兵に追い出されたという初子さんたち家族が最後に身を寄せたのが糸満市のカミントウ壕。
現在は埋め立てられ、面影はありません。

77年前の6月20日ごろ、何世帯もの住民たちと日本兵がとどまっていた壕はアメリカ軍に囲まれていたといいます。

大屋初子さん
「アメリカは何回もね『食べ物・着物あるいっぱいある。出てこい、出てこい』と何十回も、何百回も、声かけてるけど兵隊さんが出さないわけよ」

アメリカ軍に投降することを日本兵に止められた住民たち。
やがて携帯していた手榴弾を次々と爆発させ、自決していったといいます。

大屋初子さん
「もうみんなこんがらがっているからね。いろいろもう。奥の方では家族ぐるみで(自決を)やっているから。(アメリカ軍の)流れ弾で亡くなった人も一杯いるよ。うちのお婆さんも自分たちも早く自決を早くやりなさいと。お父さんにせがんでいる訳よ。そしたら私は“絶対死なない”と泣いたから」

「せめて太陽の光を見てから死のう」。父親の言葉と共に、外に出た初子さん家族はアメリカ軍の捕虜となり助かりました。

この壕の中で命を落とした家族の元に戻ることが出来なかった住民や日本兵が眠るのが魂魄の塔です。手向ける花に、初子さんは-

大屋初子さん
「ただポツンと慰霊塔だけだったらね、魂も迷うはずだけど。自分たちがこっちで花を売って供える。供えるだけで、亡くなった方もとっても癒されるわけよね」

戦争の犠牲者に平和を誓って手向ける花を届けるために。初子さんはこれからも花を作ります。


【記者MEMO】
「魂魄の塔」を訪れる人の中には、初子(はつこ)さんから花を買いたいという方も沢山いるんだそうです。初子さんは来年足の調子が良ければ販売所に立って花を売りたいと話していました。